今月16日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」では、
「病牀六尺」にある次の言葉を紹介されていました。
『悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた。』
この言葉について、鷲田さんの解説が次のように続きます。
『俳人にとって悟りとはいつでも平気で死ねることではなく、
生をひたすら愛(め)でることであった。
激痛にのたうちまわるなかでも、弟子たちを頻繁に迎えた。
薬や麻痺(まひ)剤を服用する一方で、
パン、スープ、鶏卵、刺し身、焼き物、飯と三食しっかり食べ、
間に牛乳や菓子パンも。
死の直前まで床で画譜画帖(がじょう)を楽しみ、絵筆をとり、
料理や社会情勢・教育を論じた。』
せっかく鷲田さんが子規のことを取り上げていただいたので、
愛媛県に存在する子規の句碑のいくつかを紹介したいと思います。
出典は『吟行ナビえひめ』というサイトです。
「春や昔十五万石の城下哉」(松山市・JR駅前)
「牛行くや毘沙門阪の秋の暮」(松山市・東雲神社前三叉路)
いずれの句碑も、よほど注意して歩かないと通り過ぎてしまいそうです。
これらの句碑のほか、先ほどのサイトでは、
県内にある子規の句碑が、全部で126余り紹介されていますので、
ぜひ一度ご覧ください。
そうそう、そういえば、野球をこよなく愛した子規の
「草茂みベースボールの道白し」という句碑が、
また、野球といえば、
昨年は、子規ゆかりの県立松山東高校が選抜高校野球で活躍しましたが、
残念ながら今年は、愛媛県の高校は出場できませんでした。
子規もさぞかし悔しがっていると思います。