昨日の続きです‥‥。
今日は、昨日18日の愛媛新聞一面コラム「地軸」の全文を引用させていただきます。
『「あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら/
わたしはもっとちゃんとカバーをかけて/神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう」
米国の女性詩人ノーマ・コーネット・マレックさんが、幼い息子の死を悼んだ詩。
その切なさに文字がにじむ。2年前岩手日報の新聞広告に掲載された。
明日が来るのは当たり前ではないと知った東日本大震災。
「3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に」と呼び掛けていた。
胸がえぐられるような後悔を語ってくれた若者の声が、繰り返し耳によみがえる。
「『ありがとう』となぜ伝えなかったんだろう。あなたは大切な人をいま、大切にしていますか」
随筆家の若松英輔さんは、昔の人は「かなし」を悲し、哀しだけでなく、
愛し、美しとも書いたとして、その心情に心を寄せる。
「悲しみとは、痛みの経験であると共に情愛の源泉」であり、
人は悲しみを生きることによって、より豊かに他者を愛することができると。
「最後だとわかっていたなら」の詩は続く。
「微笑みや 抱擁や キスをするための/ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと/
忙しさを理由にその人の最後の願いとなってしまったことを/
どうしてしてあげられなかったのかと」
きょう彼岸入り。もう会えない人の魂と語り合い、いまを生きる大切な人に向き合うとき。』
愛媛新聞の「地軸」は、体言止めの多用と「上から目線」に、時に閉口することがありますが、
昨日のコラムは、ノーマ・コーネット・マレックさんの詩と若松英輔さんの言葉を
絶妙に引用されていて、「彼岸入り」という日が持つ意味を、
読者に立ち止まって考えさせるような、そんなコラムだったと思います。
(偉そうなことを言ってスミマセン‥‥)
さて、今日は、朝から本降りの雨でした。
年度末・年度始めと、なにかと落ち着かない日々がこれから続きますが、
心のバランスを失わないように気を付けたいと思っています。