しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

選挙・政治と孫子の兵法

小池百合子都知事率いる「都民ファーストの会」が圧勝した

東京都議会議員選挙を受けて、

今日10日の『池上彰の大岡山通信 若者たちへ』では、

孫子の兵法」について書かれていました。

 

池上さんによると、 小池知事は、幼少の頃から「孫子の兵法」に親しんでいて、

今回の選挙に向けての戦略・戦術からも、その片鱗がうかがえるとのことで、

次のような孫子の言葉の紹介と池上さんの解説がありました。

 

「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」

⇒戦いにおいては、戦わずに敵の兵を屈服させることが最上である、という意味。

 今回の選挙で、小池氏は、 自民党民進党の議員たちを

 「都民ファーストの会」に迎え入れた。

 もともと選挙の後援会や組織を持っている人たちを引き込むことで、

 消耗戦に持ち込まずに勝利を得た。

 

「凡(およ)そ用兵の法は、国を全(まっとう)するを上となし、 国を破るはこれに次ぐ」

⇒相手の国を打ち破るのではなく、丸ごと手に入れることが最善である。

 小池氏は、自民党と連携していた公明党を味方に引き入れた。

 自民党側についていた勢力を丸ごと手に入れた。

 

「必ず全(まったき)をもって天下に争う」

⇒相手を痛めつけず、無傷のまま味方に引き入れて天下を取る。

 民進党から離れれば推薦を与えるという条件で仲間を増やした。

 

そして、新生東京都議会と連携して都政を運営できるかどうかについても、

次のような孫子の言葉と解説がありました。

「凡(およ)そ衆を治むること寡(か)を治むるがごとくなるは、分数是れなり」

⇒大部隊の兵士を、まるで少数部隊のように率いるためには、

 しっかりとした組織の運営が必要。

 「都民ファーストの会」の議員を大量に誕生させたからこそ、

 この孫子の兵法が必要になるはず。

 

う~む、なるほど……。とても勉強になります。

なお、小池知事は国政を視野に入れる動きもあるとか…。

どうやら安倍総理が率いる自民党も、

孫子の兵法を学んで小池知事に対抗する必要がありそうです。

 

ちなみに、調べてみると、孫子には次のような言葉もあるみたいです。

ご参考までに……。

「迂を以て直と為し、患を以て利となす。」

⇒廻り遠い道をまっ直ぐの近道にし、害のあることを利益に転ずること。

 

蝉の抜け殻に思う

今日はお昼過ぎから、久しぶりに梅雨の晴れ間が広がりました。

7月7日には二十四節気の「小暑」も過ぎて、

「こよみのページ」の解説にもあるように、

そろそろ梅雨明けが近づいているのかもしれません。

ところで、その「こよみのページ」では、

「近づく梅雨明け」以外にも、次のような「小暑」の解説がありました。

『梅雨明けが近く、本格的な暑さが始まる頃。集中豪雨のシーズン。

 蓮の花が咲き、蝉の合唱が始まる頃である。』

 

下の写真は、ちょっと小さくて見えにくいのですが、

我が家の塀にとまっていた「蝉の抜け殻」です。

今朝、ふ化したのだと思いますが、蝉の鳴き声はまったく聞こえてきません。

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さて、最近の私の体調といえば、

めまいの発作をなんとか薬で抑えているような状態が続いています。

ですから、休日は外出も極力控えて、ひたすら体力の回復に努めています。

この抜け殻から飛び立った蝉のように、

自由に空を飛んで、大きな声で叫んでみたい気持ちです……。

 

落ち込んでばかりいても仕方がないので、来週の休日には、

久しぶりに散歩がてら、西の海岸に夕日を見に行きたいと思っています。

その頃は、蝉の合唱が始まっているかもしれません……。

 

 

 

 

 

単純なものほど難しい

『語彙力を鍛える~質と量を高めるトレーリング』

(石黒圭著:光文社新書)を読了しました。

 

著者によると、本書が考える語彙力とは次の等式で示されます。

語彙力=語彙の量(豊富な語彙知識)✖語彙の質(精度の高い語彙運用)

 

また、著者は、本書は次の①から③の、

言葉をめぐる現代社会の病と闘うために書いたとされたうえで、

以下のように述べられていました。

 ①言葉の形に価値があるという「信仰」

 ②言葉を変えれば中身まで立派になるという「幻想」

 ③目を惹く表現をうみだせば偉くなれるという「風潮」

 

『無理な背伸びをせず、文脈に合った言葉を選ぶだけでよい。

 変に着飾らず、シンプルな言葉を選ぶだけでよい。

 言葉の形を強く意識させることを目指すのは素人の発想であり、

 言葉の形を意識させずに内容がすっと頭に入ってくる言葉選びを目指すのが

 プロの発想です。ところが、この単純で、当たり前のことが難しいのです。』

 

う~む、なるほど……。

「単純なものほど難しい」というのは、言葉に限らず、この世の真理ですよね…。

ところで、本書のなかで一番心に残ったのは、次の記述でした。

『立て板に水のごとく流れでる言葉は、

 一見美しく見えますが、そこには力がありません。

 それは受け売りの言葉だからです。

 迷い、悩み、ためらうなかから出てくる言葉こそが、

 真に力のあるものになるのです。』

 

私も、迷い、悩み、ためらいながら、この日記を書き続けていきたいと思います。

私が書く言葉には、「力」はまったくありませんけど……。(苦笑)

 

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)

語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング (光文社新書)

 

 

 

 

 

崩壊する「進歩の思想」

今日7日の朝日新聞デジタル版「異論のススメ」に、

佐伯啓思京都大学名誉教授が、『加速するAI技術 迫られる「人間とは何か」』

というタイトルの論評を 寄稿されていました。

 

佐伯先生は、「今日の科学・技術の展開は、

イノベーションの速度の高度化というだけではなく、

何か、根本的に新たな段階に突入しようとしているのではなかろうか。」

と述べられるととともに、多くの技術者やエコノミストが持つ、

次の①から③のようなな考えに対して、以下のようなお考えを披歴されていました。

 

①おそらくは、科学や技術の本質は何も変わらない。

②あくまで主体は人間自身にあって、AIであれ、ロボットであれ、

 生命科学であれ、遺伝子技術であれ、それを使うのはわれわれだ。

③ われわれが理性的にそれを使えば、それは、従来の技術同様、

 人間に大きな可能性と幸福をもたらす。

 

『私は、これらの最新技術の可能性を否定する気は毛頭ないが、

 それでも、この新技術から超然として「人間」というものがありえるとは思えない。

 ただ便利にそれらを使えばよい、というものではないと思う。

 第一の理由は、人間は、確かに新たな技術を有効利用するが、

 また同時に他方では、「悪魔と取引する」ものだからである。

 物理学の発展が生み出した核融合技術をみればこれは明らかであろう。

 第二の理由は、もしもこれらの技術が高度に展開すれば、

 人間自身が、これらの技術に取り込まれてゆくだろうと想像されるからである。

 こうした先端技術は、こちらに人間という確たる「主体」があって、

 それが「客体」としての対象に働きかけるという

 近代の合理的科学の前提を 大きく逸脱してしまった。

 ここでわれわれは、いやおうもなく「人間とは何か」

 という根源的な問いの前に 立たされることになろう。』

 

う~む、なるほど……。

どうやら佐伯先生の「近代社会の“進歩の思想”は崩壊する」というお考えは、

「インターネットがもたらすカルチャーは、

人間の本性すら大きく変えてしまうかもしれない」とする

鈴木幸一・IIJ会長のお考えに近いような、私はそんな気がしています。

 

この先、人類はAIと共存していくことができるのでしょうか?

私は、「イノベーションが幸福をもたらすものである」ことを

最後まで信じていたいです……。

一緒に苦しむ覚悟

今日6日の朝日新聞「折々のことば」は、正岡子規の母の

「のぼさん、のぼさん……サア、もう一遍痛いというてお見」という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

俳人の子規(幼名・升(のぼる))は晩年、

 脊椎(せきつい)カリエスに侵され体じゅう膿(うみ)が溜(た)まる。

 褥瘡(じょくそう)も惨(むご)く、激痛にのたうつ息子を看病する母は、

 ずっと「しかたがない」としか言わなかったが、

 ついに事切れた子規にこう声をかけた。

 やっと楽になれたのだろうが、

 私は傍(はた)でもっと一緒に苦しんでいたいとの親心。

  森まゆみの「子規の音」から。臨終の様子は河東碧梧桐の「子規の回想」にも。』

 

この文章を読んで、平成8年7月に、満62歳で急逝した母のことを思い出しました。

母はに慢性気管支ぜんそくの持病があり、毎日のように、咳に苦しんでいました。

咳がひどい時には息もするのも苦しそうで、

そうした母を、父や私はどうしたらよいか分からず、ただおたおたするだけで、

できることといえば、母の背中を摩ることしかありませんでした。

 

今から当時を振り返れば、正岡子規の母のように、

「傍(はた)で一緒に苦しんでいたい」という、

息子としての覚悟はなかったように思い、

いまでもそのことを妻から叱責されますが、私には返す言葉がありません。

 

明日7日、七夕の日は、その母の命日です……。