しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

庭に見る自然のたくましさ

暦の上では立春だというのに、今日は午前中から粉雪が舞い、

午後3時過ぎにはお隣の松山市伊予市に大雪警報が発令されるなど、

こちら愛媛でも厳しい寒さが続いています。


この厳しい寒さのなか、庭のヒマラヤユキノシタは、ピンク色のつぼみが顔を出し、

また、ドウダンツツジは、春の訪れをじっと待つかのように新芽のつぼみがふくらんでいます。

こうした「自然のたくましさ」にはいつも驚かされるばかりです‥‥。

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さて、「暮らしの歳時記」によると、今は、二十四節気では「立春」、

七十二候では「黄鴬睍睆(うぐいすなく)」で、『山里で鴬が鳴き始める頃。

春の訪れを告げる鴬は「春告鳥」(はるつげどり)とも呼ばれます。』という解説がありました。

厳しい寒さが続く今年の日本列島では、うぐいすも春を告げる気にはならないでしょうね、きっと‥。

でも、その鳴き声がたまらなく待ち遠しく思います。

『鶯の 覚束なくも 初音哉』(正岡子規)

コラムニストの真骨頂

「追悼のコラムにこそ、コラムニストの真骨頂が発揮されるのではないか」、

『苦海浄土』の著者、石牟礼道子さんが昨日10日、90歳でお亡くなりになったのを受けて書かれた、

今日11日の朝日新聞天声人語」と日経新聞「春秋」を読んでそう思いました。

それぞれのコラムには、次のようなことが書かれていました。


『訃報(ふほう)に接して、十数年前の取材ノートを読み返してみる。

 「患者さんは病状が悪いのは魚の供養が足りないからと考える。岩や洞窟を拝んだりする」

 「それを都会から来た知識人は無知で頑迷だと言う。私はそうは思わない。

 患者さんは知識を超えた野性の英知を身につけています」

 代表作『苦海浄土』の題に込めた思いを自ら語る。

 「患者さんの家に通い、絶望の極限を見た。地獄から抜け出すには浄土へ行くしかない。

 希望の見えない日々でした」。

 水俣の人々の言霊(ことだま)を心でとらえ、世に問い続けた人生であった。』(天声人語)


『自分が描きたかったのは「海浜の民の生き方の純度と馥郁(ふくいく)たる魂の香りである」。

 すでに水俣病の公式発見から50年近くがたっていた2004年、そう書き残している。

 患者らの中には「もう何もかも、チッソも、許すという気持ちになった」

 「チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん」と語った人もいたという。

 「人を憎めば我が身はさらに地獄ぞ」。石牟礼さんは患者のこんな言葉も書き留めている。

 近代文明の「業(ごう)」の犠牲となった漁民らは苦しみ、戦い、そして最後はゆるすまでに至った。

 その過程に人間の気高さがあらわれている。

 憎悪や分断に常にさらされる世界で「生き方の純度」や「魂の香り」の意味を問い続けたい。』(春秋)


私が『苦海浄土』を初めて読んだのは大学生の頃‥‥。

世の不条理に対して、「やるせない思い」と「ぶつけようのない怒り」を抱いた時期でもありました。

そして、一昨年9月、批評家・若松英輔さんが書かれたNHKテキスト『100分de名著』を読んで、

再び「苦海浄土」の世界観を知ることになりました。

このテキストで若松さんは、次のように書かれていました。


『本当に大切にしなくてはならないものを私たちは、大事にできないことがある。

 それらはしばしば、声を上げることもなく、静かに存在しているからです。

 海や山などの自然やそこで生きる小さな生き物たち、

 あるいは真実を目撃しながらも語ることを奪われた人々など、

 繊細な、寡黙なものたちの声に近代社会は十分に耳を傾けることができなかったことがある。

 そればかりか、そうしたものたちに大きな苦しみと悲しみをもたらしてきた歴史がある。

 これから皆さんと読む「苦海浄土」には、水俣病によって苦痛と悲嘆と沈黙を強いられた人たちが

 たくさん出できます。語り得ないものたちの声にどう向き合えるのか。

 それが「苦海浄土」を読むときに最も重要な問題となってきます。』


こうした視点で、私が読んだ二つのコラムも書かれていたように思います。

そして、このコラムを読んで、『苦海浄土』を手に取り、

世の中の不条理について思いをめぐらす若者が増えるといいですね‥‥。

この国に欠けているもの

厳しい寒さがようやく和らいだと思ったら、今日は終日、あいにくの雨となりました。

晴れだったら布団を干したり、シーツを洗濯するつもりだったのに‥‥。

世の中、思いどおりにはいかないものです‥。


さて、町立図書館で借りてきた『あの戦争は何だったのか~大人のための歴史教科書』

(保阪正康著:新潮新書)を読了しました。

本書の目的と執筆の理由を、著者は次のように述べられていました。

『歴史を歴史に返せば、まず単純に「人はどう生きたか」を

 確認しようじゃないかということに至る。

 そしてそれらを普遍化し、より緻密に見て問題の本質を見出すこと。

 その上で「あの戦争は何を意味して、どうして負けたのか、

 どういう構造のなかでどういうことが起こったのか」ーー。

 本書の目的は、それらを明確にすることである。』


『太平洋戦争を正邪で見るのではなく、この戦争のプロセスにひそんでいるこの国の体質を問い、

 私たちの社会観、人生観の不透明な部分に切り込んでみようというのが

 本書を著した理由である。

 あの戦争のなかに、私たちの国に欠けているものの何かがそのまま凝縮されている。

 そのことを見つめてみたいと私は思っているのだ。

 その何かは戦争というプロジェクトだけではなく、戦後社会にあっても見られるだけでなく、

 今なお現実の姿として指摘できるのではないか。

 戦略、つまり思想や理念といった土台はあまり考えずに、戦術のみにひたすら走っていく。

 対処療法にこだわり、ほころびにつぎをあてるだけの対応策に入りこんでいく。

 現実を冷静にみないで、願望や期待をすぐに事実におきかえてしまう。

 太平洋戦争は今なお私たちにとって“良き反面教師”なのである。』


とても分かりやすく、読みやすい文章で、スラスラと読むことができました。

スラスラ読めたとはいえ、その中身は濃く、改めて「あの戦争」について教わることができました。

そのなかでも意外だったのは、

『太平洋開戦について、最初に責任を問われるべきなのは、本当は海軍だったのである。』

という記述でした。

そして、太平洋戦争での日本の致命的な欠陥は「戦術」はあっても「戦略」がなかったこと。

著者が指摘されているように、これは今のこの国や、そして私たちの身近な組織にも、

そのままそっくり当てはまるような、そんな気がします。

だからこそ、いつも歴史に謙虚に学ぶ姿勢を持つことが大切なのだと思います。

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書 (新潮新書)

二つの派の対立

岡本全勝・内閣官房参与がご自身のHPで、

朝日新聞「Globe」の特集記事「FRB日本銀行」について、

読み応えがある記事だと紹介されていたので、私もさっそくデジタル版で読んでみました。

そのお言葉のとおり、内容がとても充実していて、

日銀や金融政策についての基礎的な知識を学ぶことができました。

以下、リフレ派や反リフレ派の対立などについて解説した個所を、

この日記に「自己啓発メモ」として残しておきたいと思います。


『「リフレ派」対「反リフレ派」。

 過去20年以上、金融政策を巡る議論は、この二つの派の対立とらえられてきた。

 そもそも、リフレ派とは‥‥。

 その定義はあいまいで使用法もさまざまだが、ざっくり整理を試みよう。

 リフレとは、リフレーション(通貨再膨張)の略語だ。

 リフレ派は、物価が下落する状態であるデフレーション(デフレ)が

 経済全体を収縮させる元凶だとして強く問題視する。

 日銀が大量の国債を購入するなどして市場に供給する通貨の量を大幅に増やしたり、

 物価上昇(インフレーション)の目標を明確に設定するなどして人々の「期待」に働きかけ、

 デフレからインフレに「転換」させることが重要だと主張するグループが、リフレ派と呼ばれてきた。

 2013年、黒田が日銀総裁に就任した直後、

 日銀が長期国債を年間50兆円買い増す「異次元緩和」に踏み切ったとき、リフレ派は喝采した。

 その後、景気拡大は5年続き、失業率も歴史的に低い水準まで低下していることについて、

 リフレ派は、黒田緩和の大きな成果だとみている。

 これに対し、反リフレ派の多くは、現在の日本経済の景気回復は、世界経済の回復が主因であり、

 失業率の低下も急速な労働人口減少によるところが大きいと考えている。

 また、日本経済の成長率低下は人口減少などによる潜在成長率低下によるものであり、

 物価下落が原因ではないという立場だ。

 経済を成長させるには、規制改革などの構造改革で生産性を上げるという根治が重要であって、

 インフレ目標に無理に近づけようと、日銀が長期国債などを大量購入することは、

 財政規律を緩ませるといった弊害のほうが大きいとみる。

 今の日本の景気が良くても、この路線を続ければ、中長期的には、国債価格や円の急落、

 ハイパーインフレ、金融システムの混乱などがやってくることを懸念する。』


なお、リフレ派と呼ばれる人の中にも、「財政出動に積極的な立場」と、

財政出動に慎重な立場」の二つに分かれている印象があることについて、

若田部昌澄・早大教授は、次のように述べられていました。

『リフレ派の核となる定義は変わっていない。

 日本経済で長く続いてきたデフレに対する問題意識があり、

 デフレからの脱却を進めるべきだという目標がまずある。

 その目標に対する手段として、インフレ目標を伴う金融緩和は必要条件だと考えている。

 この二つの条件を満たすのがリフレ派だろう。

 この2点にプラスされる財政政策への態度などは、核となる定義には含まれていない。

 財政政策以外の他の政策、例えば成長政策や再分配政策については、

 リフレ派の中でも論者によって意見は色々ある。』


こうした定義などを踏まえたうえで、山脇岳志・編集委員は、次のように述べられていました。

日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、

 超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。

 知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。

 どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。

 ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった

 私たちの「今の行動」は変わってくる。』


はて‥‥、私はいったいどちらを信じて行動すればよいのでしょう??

ところで、すでにお気づきのこととおもいますが、

この特集記事でも山脇岳志・編集委員の金融政策に関する専門的な解説がありました。

昨日のこの日記で紹介したコラムでご本人は、

「何の専門家でもない自分‥‥。時折、苦い思いがこみ上げる。」とおっしゃっていましたが、

今回の特集記事を読むと、それが謙遜だったことがよく分かります。

私の場合、これから専門性を磨くのはちょっと能力的に難しいと自覚していますが、

知的好奇心だけはいつまでも持ち続けたいと思っています。

「ゼネラリスト」か「スペシャリスト」か

今日8日の朝日新聞デジタル版に掲載された、山脇岳志・編集委員の執筆による

『(ザ・コラム)公務員の定年延長 専門性、磨くきっかけに』というタイトルの

次のような内容のコラムを読んで、深く反省し、そして、考えるところがありました。


『何の専門家でもない自分‥‥。時折、苦い思いがこみ上げる。

 事件、高校野球、地方行政、金融、情報通信、調査報道、米国政治や経済‥‥。

 それぞれの取材は興味深かったが、これが専門だと胸をはれる分野はない。

 かつて後輩に「専門分野をみつけて、高いビルを建てたらいい。

 幅広い取材で基礎固めをすれば、そのビルは倒れない」と助言したことがある。

 自らを顧みると、基礎固めで精いっぱい。ビルは建たなかった。

 記者は、「ゼネラリスト」であることを生かすべき職業だろうけれど、

 それだけでは十分ではない。質の高い情報が、無料でインターネット上でとれる時代である。

 専門家と渡り合えるような知見を身につけつつ、現場に足を運ばなければ、

 読み応えのある記事を書くのは難しい。

 「ゼネラリスト」志向は、メディアに限らず、日本の企業に幅広くある。

 霞が関の中央官庁も、その典型である。

 キャリア官僚たちは、事務次官という最高ポストをめざし、さまざまなポストを経験する。

 有力政治家にうまく根回しして政策を実現できれば、役所内で評価される。

 「ミニ政治家」的な官僚は、たくさんいる。だが、世界は複雑化し、技術革新も早い。

 政策判断が難しい中、政策立案の専門性を、どれだけ磨けているだろうか。
 
  ~ (中略 )~

 いま、政府は公務員の定年延長について検討している。

 関係省庁の検討会議で方向性が出れば、人事院が具体的に検討し、勧告を出すことになる。

 60歳の定年を時間をかけて65歳までのばす。60歳で給料は下げ人件費を抑制する。

 そういった方向で検討が進むのだろう。

 年金をもらえる年齢はやがて65歳になり、定年をのばす企業が増えている。
 
 人件費の総額が増えていかないならば、公務員の定年延長がおかしいとは思わない。

 だが、延長と同時に真剣に考えなければならないのが、専門性の問題だろう。

 次官をめざすゼネラリストばかりを養成するのではなく、

 専門性で勝負するスペシャリストを大幅に増やすべきである。

 そうなれば、役所の権限や予算配分、資金の運用などを背景にした「天下り」ではなく、

 本人の専門性を生かした民間への転職もしやすくなる。』


私は、地方公務員として働いた36年の間に、

商工行政、市町村行政、農政、私学・法令、政策・予算、監査、議会などの仕事を

2~4年のスパンで経験しましたが、山脇編集委員と同じように、

「これが専門だ」、「これが得意だ」と、胸が張れる分野がないまま定年退職しました。

36年間のうちには、選管書記を通算で14年間務め、多くの選挙を経験しましたが、

定年退職後の仕事ではほとんど役に立つことがありません。


それならば「ゼネラリスト」としての能力を発揮できたのか、と問われるとそうでもなく、

定年退職後の仕事をこなすなかで、「テクニカルスキル(業務遂行能力)」さえ

ろくに身に付けてこなかったことに気づき、愕然としています。


コラムでも指摘されているように、これからの時代は、国の官僚に限ったことではなく、

地方公務員も「スペシャリスト」が求められているのかもしれません。