しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

方針転換は真意なのか?

昨日6日から、二十四節気は「啓蟄」、

七十二候は「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)」となりました。

「戸を啓いて顔を出すかのように、冬ごもりをしていた生きものが姿を表す頃」とされています。

啓蟄」は、聞いただけで春が来たことを実感するという、なんとも不思議な言葉だと思います。


さて、韓国と北朝鮮が来月末に首脳会談を開くことで合意したことについて、

今日7日の日経新聞産経新聞の社説には、それぞれ次のようなことが書かれていました。

『平昌冬季五輪をきっかけにした韓国と北朝鮮の接近がついに、

 4月末の南北首脳会談の開催合意に至った。

 韓国の文在寅大統領が平壌に派遣した特使に対し、北朝鮮側は非核化や、

 米国との関係正常化の意思も示したというが、どこまで本気なのだろうか。』


北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長が韓国特使団と会談した。

 韓国側は、4月末に板門店で南北首脳会談を行うことで合意したと発表した。

 北朝鮮は、朝鮮半島の非核化問題の協議と米朝関係正常化のための対話を

 米国と行う用意があるとも表明したという。これに先んじて北朝鮮朝鮮中央通信は、

 特使団との会談について「満足な合意」に達したと伝えていた。

 だが、にわかには信じがたい。』


私もこの二つの社説の論調のように、

「どこまで本気なのだろうか」「にわかには信じがたい」という気持ちです。

なにせ、北朝鮮という国には、これまで拉致問題の解決や核開発・保有の放棄について、

何度も騙されてきましたから‥‥。

一方で、日経新聞一面コラム「春秋」では、

朝鮮半島に伝わる「行く言葉がきれいなら、来る言葉もきれい」

ということわざが紹介されていました。

日本でよく耳にする「売り言葉に買い言葉」とは逆の意味で、

「他者への言動をよくすれば受ける言動もよい」とのことでした。

このことわざのように、朝鮮半島情勢など国際情勢が、緊張緩和の方向に展開すればよいのですが‥‥。


それにつけても、朝日新聞社説と一面コラム「天声人語」では、

この話題について一言も触れられていないのが何とも不思議でした。

そこに書かれていたのは「森友学園財務省」‥。

朝日新聞は、よほど現政権がお嫌いのようだとお見受けします‥‥。

人間万事塞翁が馬

日経新聞で連載されていた「検証 東芝危機」を興味深く読みました。

連載記事の第2部は「不正の温床」というタイトルで、次のような文章から始まります。

『1965年以来、半世紀ぶりに外部トップに再建を託すことになった東芝

 かつて日本の財界をも背負った名門企業はなぜ道を踏み誤ってしまったのか。

 最大の綻びは2015年4月に発覚した会計不祥事だ。

 その奥底には過剰な名門意識や物言えぬ企業風土など根深い問題が広がっていた。』


第2部は第1回から第4回までので短い連載でしたが、

そのなかで特に印象に残った記述を、この日記に書き残しておきます。

・会社を重視し、組織と違う個別の異論や反論は封殺する。

・会社のため、事業部のため‥‥。

 経営陣の「お墨付き」で利益かさ上げや損失先送りがはびこるなか、

 社員たちの感覚は麻痺(まひ)した。

・トップが組織をゆがませたのか、組織がトップをゆがませたのか。

・トップも組織もプライドだけ高くなった。

 トップは財界代表を目指し、「自分の代で赤字を出したくない」との意識を持ってしまった。

・財界総理、そして日立超え。名門復権への執着が行き過ぎた当期利益至上主義を生み、 

 不正会計の一因となった。歴代社長同士のライバル意識もこれに輪をかけた。

 虚飾の構図は約10年にわたり隠し通された。

・見えてきたのは監査法人の限界だ。

 監査法人にとって東芝は年間10億円超の監査手数料を得られる最重要顧客だ。

 東芝の立場は強くなりやすい。「なぜ必要なのか」。監査法人が詳細な会計情報を求めても、

 窓口の東芝担当者から逆に問い詰められることも多かったという。

 数十人規模で送り込まれた会計のプロも目が曇った。


東芝」という名門企業には、個人的にほろ苦い思い出があります。

昭和53年に大学4年生だった私は、

就職希望先の一つとして、当時人気の東芝を選び、採用面接に臨んだことがあります。

その結果は、早々と不採用‥‥。結局、一年留年の末、故郷愛媛で地方公務員になりました。

今から思えば、数多い人生の転機の一つであったように思います。


ふと、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」という故事が頭に浮かびました‥‥。

閉塞感の正体とは?

今朝は強烈な雨風で、まるで台風のような「春の嵐」でした。

最寄りの駅までのわずか3分強の間に、ズボンがずぶ濡れになってしまいました。

松山市には洪水警報が発令されましたが、3月の洪水警報は私の記憶にはありません‥‥。


さて、今日5日の日経新聞ダイバーシティ進化論」は、

出口治明立命館アジア太平洋大学学長の、

『「日本には合わない」打ち破れ 職場・家でできることから』というコラムでした。


出口学長は、明治維新から150年の節目の年に当たる2018年という年に、

「現代の日本人は明治維新から何を学ぶべきか」について様々な見解があるけれども、

「僕は海外から徹底的に学ぶ姿勢だと思っている」とおっしゃっていましたが、

この後に続く文章のなかでも印象に残ったのは、次のような記述でした。


『興味深い調査結果がある。

 米エデルマン社が17年に実施した信頼度調査「トラストバロメーター」によると、

 日本で自分が働く会社を信頼している人は57%。

 グローバル平均(72%)を下回り、韓国と並んで主要28カ国中最下位だった。

 なぜ日本の働き手は、組織を信頼していないのか。

 それは企業が高度成長時代の成功体験から脱却できず、

 時代の変化に適応できいていないと肌感覚で知っているからではないか。

 「こんなことではダメだ」と思いながらも、声をあげたらつぶされると不作為を決め込む。

 社会や組織の未来より、自分の立場を守り、逃げ切ることを重視する。

 日本を覆う閉塞感の正体は、

 様々な立場で日々繰り返される不作為の累積であるような気がしてならない。

 待っているだけでは次の維新は起きない。

 よりよき未来を願うなら、自ら精神的な鎖国を打ち破り、世界に目を向け、

 次世代のためにできることを考えよう。

 不作為をやめ、今の職場で、家庭で、地域で、できることから行動してみよう。

 人は誰もが、社会を変える力を持っているのだから。』


う~む、なるほど‥‥。

いや、それにしても、日本で自分が働く組織を信頼している人が、

主要28カ国中最下位だったという調査結果には驚きました。

これじゃいくら政府が「働き方改革」に力を注入しても、

日本の組織で働いている人の生産性が向上することは、ほとんど期待できないと思いました。


そして、「日本を覆う閉塞感の正体は、様々な立場で日々繰り返される

不作為の累積であるような気がしてならない。」は、耳が痛いご指摘です。

私の場合は特に、仕事でも家庭でも、

「不作為の連続の人生ではなかっただろうか?」と、深く反省するところがあります。

知行合一」こそが「次の維新」へのキーワードかもしれません‥‥。

春を実感した一日

今日は良く晴れて暖かく、とても穏やかな一日でした。ようやく春が訪れたことを実感します。

つい先日まで蕾だったヒマラヤユキノシタの花は、今ではご覧のようにピンクの花を咲かせています。

写真に収めようとすると、黒色の蝶が偶然にもその花に止まり、びっくりしました。

蝶はそのあと、石灯篭に止まって羽を広げました。

まだ3月上旬なのに、なんという名前の蝶なのかな‥‥?

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そして、昨日から我が家に泊まっている孫娘は、

グランマの特訓の成果もあって、ようやく自転車に乗れるようになりました。

下の写真は、我が家の玄関先の道路を疾走(?)する孫娘です。

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さて、先ほどの蝶の話の続きです‥‥。

蝶は、アゲハチョウなど大型のもの以外は春の季語となっていて、

「初蝶」はその年初めて見る蝶のことだそうです。

ネットで「俳句 初蝶」を調べてみると、たくさんの句があることにびつくりしました。

そのなかに、「初蝶の切り開きゆく未来かな」(木暮陶句郎)という句を見つけました。

「春風や闘志いだきて丘にたつ」(高浜虚子)のように、この句に元気と希望をもらった気がします。

ユゴーの思想を学ぶ

ビデオに録画していたNHKEテレ「100分de名著」、

ノートル=ダム・ド・パリ』の最終回を見て、並行してテレビテキストも読み終えました。

番組指南役は、フランス文学者で明治大学教授の鹿島茂さんでした。


ノートル=ダム・ド・パリ」は、「レ・ミゼラブル」と並ぶ、

19世紀フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの代表的な長編小説で、

どちらも映画やミュージカルなどに翻案されて人気を博したとテキストに書かれていましたが、

私はユゴーと「レ・ミゼラブル」の存在は知っていたものの、

その以上の知識は持ち合わせていませんでした。

今回、テレビとテキストで、ユゴーの生い立ちやその作風・思想などを知ることができ、

私にとってはまた一つ、新しい世界への窓が開かれたような気がしています。

テキストでは、たくさんの印象に残る記述がありましたが、

その中の一つを次のとおり書き残しておきます。


ユゴーがこのように民衆に迎えられ(国葬のことを指します)

 「ノートル=ダム・ド・パリ」や「レ・ミゼラブル」が

 いまでも世界中の人々に親しまれているのは、やはり社会の弱者に対するユゴーの愛と共感が

 他の人にはない独創的なものだったからではないでしょうか。

 人はもらった分しか愛を人にあげられないといわれます。

 心理学でアダルト・チルドレンなどと呼ばれているのがこの法則の生み出す人間関係です。

 つまり、愛を受けずに育った人は、たとえ結婚して子供ができても、

 子に愛を伝えることができないので、その子も愛情の薄い人間に育ってしまい、

 また同じサイクルが繰り返されて、

 この悪循環の末に弱肉強食の世界になつてしまうというものです。

 この悪循環を断ち切るには、誰か最初に見返りを期待せずに

 愛を与える人が現れなければならない。

 ユゴーはそう考えて、現代のキリストであるジャン・ヴァルジャンを創造しました。

 「ノートル=ダム・ド・パリ」では、愛の連鎖がうまくいかず、悲惨な結果が導かれました。

 しかし、この作品もまた、見返りを考えずに無償の贈与として愛を与え、

 誰かがまず良き連鎖を始めなければならないというユゴーの思想を

 反映したものではないでしょうか。』


ところで、このところ暖かくなったのはいいけれど、

今日のお昼過ぎから、アレルギー性鼻炎による、くしゃみと鼻水が止まらなくなりました。

花粉が飛散しているのでしょうか?

自分で制御できない身体がもどかしく、なんだか情けない気持ちになります‥‥。