しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

一滴の雨水の責務

立夏が過ぎて、本格的な夏の到来を思わせるような天気が続いています。

今年も昨年のような酷暑になるのでしょうか‥‥?


さて、一昨日10日の愛媛新聞に、「世界的人気作家の村上春樹(70)さんが10日発売の月刊誌文藝春秋に、

長年不仲だった父の生涯をたどる手記を寄せた。」と書かれていたので、私もさっそく購入して、

『猫を棄てる~父親について語るときに僕の語ること』というタイトルの手記を読んでみました。

印象に残る記述がたくさんありましたが、そのうちの一つが手記終盤の次の文章でした。


『言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴にすぎない。

 固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。

 一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。

 我々はそれを忘れてはならないだろう。

 たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、

 集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。

 それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。』


う~む‥‥。「一滴の雨水の責務」ですか‥‥。強烈なメッセージだと思います。

そして、「記憶と過去を言葉と文章に置き換えていくこと」について書かれた次の記述も、

強く印象に残りました。


『こういう個人的な文章がどれだけ一般読者の関心を惹くものなのか、僕にはわからない。

 しかし僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできない人間なので

 (抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)、こうして記憶を辿り、過去を眺望し、

 それを目に見える言葉に、声に出して読める文章に置き換えていく必要がある。

 そうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、

 不思議な感覚に襲われることになる。

 手を宙にかざしてみると、向こう側が微かに透けて見えるような気がしてくるほどだ。』


言葉と文章の大切さが、この私にも伝わってくるようです‥‥。

手記を読み終えて、村上春樹さんの未読の本を読みたくなり、既読の本を読み返したくなりました。

文藝春秋2019年6月号

文藝春秋2019年6月号

「学びたい」という想い

NHK出版「学びのきほん」シリーズの創刊号、

『考える教室~大人のための哲学入門』(若松英輔著)と

『つまずきやすい日本語』(飯間浩明著)の二冊を読了しました。

「創刊の辞」には、次のようなことが書かれていました。


『インターネットの普及で個人の好みが多様化している現状では、本の読み方・知ることの楽しみ方も

 「分厚い本をじっくり」から「1テーマを分かりやすく」という方向にシフトしつつあるように思います。

 そんな時代にあって私たちは、新シリーズ「学びのきほん」を創刊します。

 コンセプトは、「生きた学びを手に入れる」。

 古今東西の教養の「きほん」を1テーマ一冊で学ぶことができます。安価で軽くてコンパクト。

 読んだ後には「知の森」にいざなわれ、いろんな本を読んでみたくなる‥‥。

     ~ (中略) ~

 人は誰もが、「学びたい」という想いを持ち続けているもの。

 心豊かな日々を送るために、自分だけの人生を作り上げていくために。

 私たちは、一人ひとりに必要とされる「学びのきほん」という燈火をともし続けます。』


はぃ‥、二冊とも「内容は濃く」「説明は分かりやすい」という、創刊号にふさわしい良書だったと思います。

そして、二冊とも巻末にブックガイドが掲載されていて大変参考になりました。

「創刊の辞」に書いてあるように、いろんな本が読んでみたくなります。

これからも「学びたい」という想いを持ち続けていたい‥‥、そんな気持ちになりました。

つまずきやすい日本語 (NHK出版 学びのきほん)

つまずきやすい日本語 (NHK出版 学びのきほん)

読解力と生産性

日経新聞では今月から「令和を歩む」という特集の連載が続いていましたが、第七回目の今日が最終回でした。

最終回の執筆者は新井紀子国立情報学研究所教授、タイトルは『AIに勝る読解力養おう』で、

次のようなことが書かれていました。


『これまでの研究でAIの限界がハッキリした一方で、

 多くの中高生がAIと同じように読解力が不足していることもわかった。

 読解力といっても文学の鑑賞ではない。

 教科書や新聞など事実について書かれた文書を正確に理解する力だ。

 これを放置するとAIに仕事を奪われる層が増え、格差が広がる危険性がある。

 読解力は生産性に直結する。

 文書やメールを読んできちんと実行できないメンバーが組織の中に数人いるだけで、

 ビジネスやプロジェクトは滞り、生産性は下がる。

 AIと差別化できる力は「創造力」だとする論もあるが、

 論理性や構成力のない思いつきはアイデア倒れになりやすい。

 型破りは基本の型が身についたうえで破壊するから型破り。

 まず母語である日本語やAIの基礎となる数学をしっかり身につけてほしい。

 子供たちに読解力を身につけてもらうリーディングスキルテストに取り組んでいる。

 読解力が身につけば生産性が高い人材になり、安心して生きていける。

 そうしたシンプルなメッセージが伝えられればいい。』


う~む、なるほど‥‥。文章を正確に理解する読解力は、生産性につながるのですね‥。

また、若い頃に日本語や数学をきちんと身につけることの大切さも理解できました。

私も孫娘に、しっかりとこのことを伝えたいと思います。

新説の歴史を学ぶ

今日の日経新聞オピニオン欄「Deep Insight」に掲載された

『昭和の教訓、生かす時代に』というタイトルの記事が勉強になりました。


記事によると、「先の戦争に日本が走った過程についての研究が進み、古い通説が覆されていて、

その意味で、昭和史は死なず、いまも生き続けているといっていい。」のことでした。

具体的には、次のような内容でした。


〇 なぜ1930年代に中国に侵攻したのか

 通説 → 日本は1930年代、地方の農村が困窮し、この危機を克服するため、

     経済権益を求めて中国に侵攻した。

 新説 → 日中が全面戦争に入った37年ごろは日本の経済は絶好調であり、

     38年も好況に沸いていた。日本の貧しさが日中戦争の原因ではない。

〇 なぜ1937年に日中全面戦争に転じたのか

 通説 → 日中戦争は陸軍の主導により全面戦争に入っていった。

 新説 → 対ソ戦へのそなえを優先したい陸軍中枢は当初、拡大に慎重だった。

     むしろ、華中や華南に権益を持つ海軍が積極的に動いた。

〇 国民は戦争拡大をどう受け止めたか

 通説 → 戦争に国民が抵抗しなかったのは、軍部に強制されたからだ。

 新説 → 米国や中国への敵がい心からメディアや国民が戦争を積極的に支持するとともに、

     戦時体制下で進められた健康保険制度の創設や小作農保護などの平等政策が、

     国民に歓迎されていた面があった。


う~む、なるほど‥‥。確かに、中学・高校の歴史教科書で習ったことと違うように思います。

なお、記事の最後には、次のようなことが書かれていました。

『愚者は自分の経験に学び、賢者は歴史に学ぶ‥‥。

 プロイセン出身の宰相ビスマルクが残した有名なことばだ。

 これを実行するには、最新の史実や歴史の解釈を知っていることが前提になる。

 そうでなければ、誤った結論を歴史から導いてしまうだろう。』


歴史は不動のものだとする認識を、私も改めなければなりません。


追記

子供の頃に住んでいた、大津市での悲惨な事故の報道に接し、胸が張り裂けそうな思いです。

神様は、あまりにも不条理です‥‥。

「希望」という二文字

昨日の続きです‥‥。

日記を書きながら、二冊の本に書かれた「希望」についての記述を思い出しました。


その一冊は、村上龍さんの『希望の国エクソダス』(文春文庫)です。

『この国には何でもある。ただ、「希望」だけがない』

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

もう一冊は、社会学者・小熊英二さんの名著、

『生きて帰ってきた男~ある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書)です。

『さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったのかと聞いた。

 シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、

 人間にとって何がいちばん大切だと思っていたか、という問いである。

 「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」そう謙二(小熊さんの父親)は答えた。』

第一生命経済研究所のレポートは、前者の「希望」を、

そして、私は、後者の「希望」を想起しているのだと思います。

「希望」という二文字を語るのは、重くて難しいものがあります‥‥。