しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

希望は失われたままなのか‥?

令和最初の出勤日を無事終えることができて、ほっとしているところです。

今日は久しぶりに、「経済レポート情報」のHPをのぞいてみました。

(大型連休中には決してそのような気分にはなりませんでしたが‥‥。)


最初にそのHPに掲載されたレポートのアクセスランキングを調べてみると、

真っ先に目についたのが第一生命経済研究所

「平成を振り返る~日本経済~失われた希望」というタイトルのレポートでした。

そこには、次のようなことが書かれていました。(大事だと思うところを抜き出してみました。)


・平成は、バブルの絶頂のなかで幕を開けた。

 日経平均株価は平成元年(1989年)12月29日の大納会で3万8915円をつけた。

 地価の高騰も著しく、東京23区の土地を売るだけで、アメリカ全土の土地が買えるとも言われた。

 今にしてみればこれは明らかにバブルなのだが、

 人々は当時、そのことに気付くことができなかった。平成の新しい時代のもと、

 日本が世界一の経済大国として羽ばたいていくという希望に満ち溢れていたのである。

 だが、こうした希望は泡と消えた。


・平成のなかで失われたものは「希望」でもある。

 希望に満ち溢れていた平成元年とは異なり、今、日本国民は将来への展望が描けずにいる。

 バブル崩壊後の長期停滞が成功体験を奪い取り、

 企業も家計も成長へのビジョンを持てなくなってしまった。

 実際、平成に入ってから期待成長率(家計や企業が予想する将来の経済成長率見通し)は

 大幅に低下し、現在も持ち直しの動きは見えてこない。


・平成の30年間ではっきりしたことは、金融政策にも財政政策にも、

 すべてを簡単に解決できる「魔法の杖」はなかったということではないだろうか。

 結局のところ、潜在成長率を高めるには、

 規制改革や労働市場改革といった当たり前の政策を続けていくほかはないのだろう。

 これらは金融政策や財政政策のような派手さはなく、効果が出るにも時間がかかる。

 だが、こうした地道な政策が最も重要だということが、

 平成のもとで得られた教訓といえるのではないだろうか。

 新しい元号のもと、経済の実力を高めて行くための地に足の着いた政策が求められている。


う~む、なるほど‥‥。

平成がバブルの絶頂のなかで幕を開けたことをすっかり忘れていました。

もっとも、当時の私には、そのような肌感覚はまったくありませんでした。

「今日よりは明日はよくなる」という気持ちがあったと思います。


そして、令和の今‥‥。

人々は、レポートが指摘するように、希望を失ったままなのでしょうか?

改元に伴う大型連休中のニュース等に接しても、少なくとも私にはそのようには見えませんでした。

上手く言えないけれど、人それぞれに将来不安はあるにしても、

希望までは失ってはいないと私は思うのですが‥。違うかしら‥‥?

長かったような、短かったような‥‥

長かったような、短かったような、そんな大型連休も今日で終わりです。

今日の日経新聞一面コラム「春秋」は、「サザエさん症候群」を題材にした、次のようなコラムでした。


『‥‥週休2日制が普及して、世に「サザエさん症候群」は一段と広がったらしい。

 金曜日は解放感に包まれ、土曜日も気持ちはゆったり。

 それが日曜日となると夕方どころか朝からもういけない。

 イヤな上司の顔を思い出したり、面倒な会議の場面を頭に浮かべたり。

 休みが長いと休み明けの不安も前倒しでやってくるようだ。

 令和改元をはさんだ、かつてない10連休がきょうで終わる。海外に出かけた。ふるさとで過ごした。

 寝正月ならぬ寝連休だった。十人十色の10日間だったろう。

 もっとも、早々と数日前から心がブルーに‥‥という向きも多いに違いない。

 とりわけ新入社員にとって、10連休のブランクは結構きついから同情を禁じ得ない。

 そんな屈託を振り捨てて、あすからは気分一新。それぞれの持ち場で本格始動である。‥‥』


う~む‥‥。

「早々と数日前から心がブルーに‥‥」だなんて、これはまるで私のことみたい‥‥。(苦笑)

さて、この大型連休を振り返ってみると、当初考えていた、本のまとめ読みはできませんでした。

その代わり、アマゾンの「Prime Video」のおかげで、映画をたくさん観ることができました。

まず、邦画は、「64(ロクヨン)前偏・後編」、「39 刑法第39条」、「疑惑」、「最後の忠臣蔵」で、

次に、洋画は、「スタンド・バイ・ミー」、「フィールド・オブ・ドリームス」、「心の旅」、

「マリアンヌ」です。(あと、映画館で孫娘と二人、「東映まんがまつり」も観ました。)

どれも印象に残る映画だったけれど、やっぱり個人的に一番良かったのは「マリアンヌ」でしょうか‥‥。


この大型連休中に、元号が平成から令和に代わったように、

季節も春の「穀雨」から夏の「立夏」に代わりました。明日からまた「日常」が始まります。

いずれ私にも、「毎日が日曜日」が訪れますが、

今回の大型連休を教訓にして、日常に代わる有意義な休みの過ごし方を学ばなければなりません。

分からないことだらけです。

昨日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、マタイによる福音書(新約聖書)の、

『剣をとる者はみな、剣で滅びる。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。


『暴力で事を解決しようとする者は、いずれ暴力でなぎ倒される。暴力は何も生まない。

 同じように、金で身を立てる者は金で身を滅ぼす。まるでブーメランのように。

 が、そうした宿痾(しゅくあ)から言葉の力で脱出しようとする人もまた、

 同じ言葉の力で崩壊することがある。人生の苦難は、言葉を得ることで解消されるわけではない。

 人は同じ苦難にこんどは言葉の世界でぶち当たる。』


う~む‥‥。(沈黙)

私は、言葉の力を信じて、自分の励みになる言葉を探しているのですが、

「人生の苦難は、言葉を得ることで解消されるわけではない。」と言われると、愕然とします。

また、鷲田さんは、「人は同じ苦難にこんどは言葉の世界でぶち当たる。」と述べられていますが、

これはどのように理解したらいいのでしょう‥??


そういえば、今日の朝日新聞一面コラム「天声人語」では、「こどもの日」にちなんで、

「全国こども電話相談室」に寄せられた質問が、いくつか紹介されていました。

「あしたは、なぜあるの」「反省の色って何色?」「宇宙人は何を食べるの」

「男の子はどうしてスカートはいちゃいけないの」「天皇陛下は就職しているんですか。それとも無職?」


はぃ‥、私にとっても、まだまだこの世の中は、分からないことだらけなんです‥‥。

素直に生きる

今日4日の日経新聞読書欄「半歩遅れの読書術」で、経営学者の楠木建さんが、

松下幸之助著『道をひらく』(PHP研究所)を、「自らの拠って立つ思想と哲学が

実に平易な言葉で書かれていて、今もなお読み継がれている名著」だと紹介されていました。


一方で、岩瀬達哉著『血族の王~松下幸之助とナショナルの世紀』(新潮文庫)では、

「むき出しの利益への執念」「妾宅との二重生活」「袂を分かち三洋電機を創業した井植歳男との確執」

「成功体験にとらわれ迷走する晩年期」など、

ひたすらに血族経営に執着する「人間・幸之助」の姿が書かれていることも紹介されていました。


そのうえで、楠木さんは、次のように述べられていました。

『「これまで見た中で首尾一貫した人は誰一人としていなかった」

 ‥‥サマセット・モームの結論である(『サミング・アップ』岩波文庫)。

 一人の人間の中に矛盾する面が矛盾なく同居している。そこに人間の面白さと人間理解の醍醐味がある。

 『血族の王』を読んだ後で、『道をひらく』を再読する。いよいよ味わい深い。ますます迫力がある。

 「素直さは人を強く正しく聡明にする」‥‥幸之助は自らの矛盾と格闘し、

 念じるような気合を入れて自分の言葉を文章にしたのだと思う。

 彼の言葉は「理想」ではなく、文字通りの「理念」だった。

 だからこそ、『道をひらく』は人々の道標になり得たのである。』

 人間ゆえの限界を差し引いても、なお日本最高にして最強の経営者。幸之助への尊敬がつのる。』


う~む、なるほど‥‥。松下幸之助さんの言葉は、「理想」ではなく「理念」ですか‥‥。

このコラムを読んで、書棚に眠っていた昭和55年8月発行の『道をひらく』を取り出してみました。

久しぶりにページをめくってみると、所々に黄色い線が引いてあります。

その一つが「素直に生きる」で、そこには次のようなことが書かれていました。


『素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、

 その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。

 おたがいに、とらわれることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。』


コラムを読んだ後だけに、言葉が素直に心に響きます‥‥。

道をひらく

道をひらく

大型連休後半の森林浴

娘の体調が無事回復し、孫娘の遊びのお相手からようやく解放されることになりました。

ところが、気が付いてみると、大型連休も残りわずかとなり、メンタル面は下降線を描くように‥‥。

そこで、一念発起して(ちょっと大袈裟かしら?)、

午後から、松前町お隣の伊予市にある「えひめ森林公園」に行ってきました。
http://www.aimori.jp/park/index.html


まずはバイクを公園管理棟前の駐車場に停め、谷上山(たがみさん)の頂上を目指します。

楽に歩ける「らくらくコース」と体力づくりのための「たんれんコース」の二つの遊歩道がありましたが、

「迷ったときは苦しい方を‥‥」という人生訓に従い、「たんれんコース」を選択しました。

ところが、普段、運動不足気味の私には、急傾斜の遊歩道が思った以上にタイトで、

途中、脚が引き攣りそうになり、安易な選択を後悔する破目に‥‥。(私の人生はいつもこのパターンです。)

下の3枚の写真は道中に撮った写真で、左から「山頂付近の谷上山の看板」、

真言宗智山派・宝珠寺の山門」、「遊歩道から見た伊予市の眺望」です。

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なお、山頂までの遊歩道には要所要所に、愛媛県ゆかりの俳人の句碑が建っていました。

左から順に、「桐一葉おのれの影にかぶさりぬ」(芝不器男)、「馬砕木折って髪にさせば昔めき」(高浜虚子)、

「夏川を二つ渡りて田神山」(正岡子規)‥‥。俳句王国・愛媛らしい趣向だと思いました。

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ふぅ~‥‥、今、この日記を書いている最中も、脚がズキズキしています。

明日の朝、無事に起きれるかどうか、ちょっと心配になってきましたが、

メンタル面は、小鳥のさえずりや森林浴の恩恵で、一気に回復したような気がします。