しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人間至る所青山あり

愛読しているNIKKEIプラスの4月20日(土)付け「何でもランキング」は、

「あの慣用表現 語源と意味は?」がテーマでした。


「1位 五臓六腑(ろっぷ)に含まれないのは?」、「2位 「檄(げき)を飛ばす」で飛ばしたのは何?」、

「3位 「どんぶり勘定」のどんぶりとは?」など10問が、正答率の低い順番にランキングされていました。


どれも難しい問題でしたが、そのなかでも特に意外だったのが、

「6位 「人間至る所青山あり」の青山って?」でした。

「①緑豊かな故郷 ②遠い異国 ⓷墓地」の三択で、私はてっきり「①緑豊かな故郷」と思っていました。


正解は「⓷墓地」で、次のような解説がありました。

『青山はせいざんと読み、墓地を意味する。人間はじんかん、にんげんと2通りの読み方があるが、

 このことわざでは「世の中」を指していると考えられる。

 全体で「世の中どこにでも自分の骨をうずめることができるのだから、

 故郷を出て広い世界で大いに活躍しなさい」という意味だ。』


う~む、まいったな‥。この歳になるまで本当の意味を知りませんでした。

これまでにどこか人前で誤用していたのではないかと思うと、とたんに恥ずかしくなりました。

今度、孫娘にも教えてあげようっと‥‥。

強い阪神が戻ってきました。

強い阪神が戻ってきました‥。


今日も首位の中日に「15」対「2」で大勝し、引き分けを挟んで5連勝。

10戦連続2得点以下の球団ワーストタイ記録と、長く低迷した打線とはとても思えません。

これも4番大山選手の調子が復活してきたことが大きいと思います。

この調子で、頑張れ阪神タイガース‥‥!!

愉快で充実した一日

昨日は、高校時代の級友が所有する樹園地を視察しました。


まず、松山市松前町に住む級友3人が私の自宅で合流し、4人が車に同乗して町内の回転寿司店へ。

そのお店で、伊予市在住で樹園地を所有する級友2人と合流し、6人で賑やかな昼食。

その後、伊予市上三谷の「紅まどんな(愛媛果試第28号)」や「せとか」などの樹園地、

次に、伊予市上野の「甘平(かんぺい)」の樹園地を視察しました。

それぞれの樹園地では開花の時期が近づいていました。


途中、一般道から伊予灘サービスエリア(SA)に立ち寄り、屋外の休憩所で談笑しました。

あまりに近すぎて滅多に立ち寄ることのなかったSAの展望スペースには、

「恋人の聖地」を象徴するハート型のモニュメントや

正岡子規の俳句「石手寺へ まわれば春の 日暮れたり」の石碑が設置されていました。

展望スペースから見えるはずの道後平野伊予灘は、黄砂の影響であいにく視界が極端に悪かったです。

級友との談笑は楽しかったし、阪神は巨人に延長の末に「2」対「1」でサヨナラ勝ちするし、

昨日は愉快で充実した一日となりました。

そして何よりも、それぞれの級友の前向きで有意義な生きざまに、私は大いに刺激を受けました‥‥。

横に並んで佇む

昨夜11時過ぎの強い横揺れの地震のあと、

私はその後の余震が心配で、なかなか眠りにつくことができませんでした。

全国ニュースになったこともあって、兵庫県赤穂市と東京都練馬区に在住の従姉妹から、

それぞれお見舞いのLINEメールが届きました。心配してもらって、有難き幸せです。

と同時に、今回の地震南海トラフ巨大地震の前触れのようで、なんだか嫌な予感がします‥。


さて、昨日の続きです‥。

4月13日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、柴崎友香さんの

「「同じところ」を答え合わせ的に探すだけだともったいないな」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『「共感」というのは、他人と同じ思いになること、そこに自分の気持ちを探し当てることではなく、

 むしろ「わからないからこそわかりたい」と願うところに生まれるものだと、小説家は言う。

 そこに必要なのは、向き合うというより「横に並んで佇む」ような姿勢なのだと。

 小説家・滝口悠生との対談「エモーショナルな言葉を探して」(「新潮」2018年11月号)から。』


なるほど、共感に必要なのは、向き合うというより「横に並んで佇む」ような姿勢なのですか‥。

横に並んで佇んでくれる人が一人でもいれば、それはとっても幸せなことですよね‥‥。

何もしないことの価値

今日は町立図書館に行って、4月7日(日)から13日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。

まず、4月10日(水)は、暉峻淑子(てるおかいつこ)さんの

「何かをすることと同時に、何もしないことの価値がみとめられているのも、また豊かではないか。」

という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『生活経済学者は、平成の初め、バブル経済の絶頂期に、

 日本社会は「経済大国」になったが「豊かな国」ではないと書いた。

 より多く持とうと人々が逸(はや)る中で、格差や不公平は拡大するばかり。

 自然や他の人から多くの恵みを「自分をカラにして受けとる」豊かさを

 まだまだ体得していないのではないかと。「豊かさとは何か」』


なるほど、「自分をカラにして受けとる」豊かさをまだまだ体得していない、ですか‥。

バブル絶頂期に書かれた内容は、今でも変わらないような気がします。

変わったのは、名目GDPがドイツに抜かれ世界4位に後退するなど、

日本社会がすでに「経済大国」でさえなくなってしまったこと、かしら‥‥?


追記

毎年のように自然増していたメダカが、とうとう3匹になってしまいました。

そのため、今日はメダカ数匹とホテイアオイを購入しました。

メダカが増えなくなったのは、鉢のなかに川エビを一緒に飼っているのが原因かもしれません‥‥。