しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

教養人の育成

昨日から、日経新聞では、
「大学開国」の第二部「世界で戦う条件」の連載が始まりました。

その2回目の今日は、「失われた20年経て 教養人の育成 いま再び」でした。
いつものように、記事の中で気になった記述を日記に残しておきたいと思います。

『「教養教育を重視した旧制高校の出身者が
 社会の第一線を引いた1990年ごろから、失われた20年が始まった」。
 浦野光ニチレイ会長は独自の視点から教養教育の重要性を説く。
 「彼らは日本文化も西洋文化も理解し、エートス(行動基準の大本)を持っていた」
 その90年代に日本の大学では教養教育解体が始まった。
 91年に当時の文部省が規制を緩和し、
 一般教育(教養教育)と専門教育の区分を廃止すると、
 「教養学部が消え、教養軽視の風潮が広がり教員は
 専門の好きなことを教えるようになった」(中教審委員)。
 〜(中略)〜
 戦後の大学教育は、専門と教養の間を揺れ動いてきた。
 だが高等教育にはどちらも不可欠で、一方を安易に軽視すべきではない。
 米国の有力大学の多くは学部教育はリベラルアーツ中心で、専門教育は大学院が担う。
 浦野氏は問いかける。「学部段階は専門教育の薫りを持つ教養教育に特化したらどうか」。
 大学は答えを迫られている。』

以前、この日記でも
教養主義の没落」や「三太郎の日記」といった教養に関する本のことを書きました。
私自身、社会人を30年近くやっていますと、
教養教育(リベラルアーツ)の大切さというものがよく理解できるようになりました。
人と接していても、教養のある方はどこか奥ゆかしく、人間としての風韻さえ感じます。
そして、この教養こそ大学において身につけておくべきだったと反省しています。

ただ、今日の記事では、その大学について、次のように書かれています。
『グローバル人材とは「海外で異文化の人と一緒に業務を遂行できる人材、
 相手の話を聞き、自分の考えで説得できる人材」。
 自国文化や異文化理解、多様性、論理的思考力、コミュニケーション能力……。
 いずれも幅広い教養教育の中で身に付く力だが、実は日本の大学はこれが苦手だ。』

大学が苦手だとすれば、いったいどこで教養教育を身につけたらよいのでしょう??
「セルフヘルプ」の世界なのかな??