しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

心を動かす名文(その2)

昨日の続きです。
今日は、『「編集手帳」の文章術』を読んで、自己反省したことを書きます。

まずは、筆者が「出入り禁止の言葉」として挙げられている
「…する機会があった」というものです。
実は、私もこの日記で、貴重な講演を聴いた時などに使用してきました。

ところが、この言葉は、
「自分を大きく見せたい心が放つ臭気」があると著者は指摘されます。
そして、次のように述べられます。
『私が会ったのは、めったに近づくことのできない人間である。
 私が見たのは、めったに立ち会うことのできない現場である。
 これから私の語ることには耳を傾けるだけの値打がある。
 「…する機会があった」という表現には、
 筆者から読者に向けた無言のメッセージが込められている。』

滅相もありません。
私の場合は、講師に対する尊敬の念と、
幸運に対する感謝の気持ちを純粋に表わしているもので、
決して自分を大きく見せたいと思っているわけではありません。
でも、読んだ人に不快感を与えているとすれば、申し訳なく思います。

『本当に希有な経験が語られているときは、
 「…する機会があった」の表現にも違和感は覚えません。』
という著者の言葉に、なんとか救われるような気がします。

本の第5章は、「Q&A形式」で書かれています。
「欠点と反省」を問われ、著者が答えられている中に、
「…」が多いことを書かれています。

著者の場合は、
文末に余韻をもたせたくて使うこともあるけれども、
いちばん多いのは「などなど」、
英語の「etc.」(エトセトラ)の代わりとして用いるそうです。
しかし、見た目が美しくなく、
ある辞書では、「etc.」は「あとは知らないという記号」だとか…。

う〜ん、弱りましたね。私もよくこの日記で文末に「…」を使います。
ほら、直前にも使っているでしょ。(たった今、気がつきました)

「一つのセンテンスを長くしないための知恵」
「種類の限られている文末の語尾に彩どりを添える工夫…」
名文を書かれる著者が、かように「言い訳」をされていますので、
この「…」は、これからも文末に使用していきたいと思います。
正直言うと、私の場合は、「…」以降の適切な表現が頭に浮かばないので、
結果的に文末に「…」を多用することになります。

長くなってきました。続きはまた明日にします。