しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

融通無碍の農業とは

昨日の阪神の勝利の余韻に今日も浸っています。
考えてみると、一つ一つのプレーが、
野球ほど人を幸福にしてくれるスポーツはないのではないでしょうか?
さて、今日は一転して「固い」日記です。

『日本は小さい島国だが、季節によって、地域によって、自然の変化に富む。
 この国土を生かした、日本ならではの農業のやり方がある。
 それは「技能集約型農業」である。』
このように主張されるのは、神門善久明治学院大学教授です。

今月10日の日経新聞「経済教室」は、「成長戦略を問う〜農業㊦」で、
続くタイトルは、「耕作放棄・転用に歯止めを」でした。
例示が豊富な農業経済学の論考を読んで、大いに納得するところがありました。

「技術」と「技能」の違いは何か?
両者の違いはマニュアル化できるかどうかであり、
農業の場合は、不規則に降り注ぐ太陽光線をエネルギー源とし、
自然の営みの中で、農地の状況は人知を超えて刻一刻と移ろうので、
マニュアルが通用しにくく、農業は「技能」が重要であると神門教授は指摘されます。

また、神門教授は、
経験知に頼るのではなく、高度な科学知識を駆使し、
試行錯誤を重ねて技能を磨き続ける「新名人」と呼ばれる農家が育っているのに、
近年は、マニュアル依存型農業が日本を席巻しつつあり、耕作技能が絶滅の危機にある、
とも述べられています。

そして、次のお話は、なかなか面白い例えだと感心しました。
『寿司屋の見習いが辛くて長い修業に専心するのは、
 一人前になって絶品の寿司を客に提供するときの喜びを確信できるからである。
 見習いを安易に補助金などで褒めそやすのは禁物である。
 習練の努力が長期的に報われる環境整備こそが必要である。』

ここから、神門先生の論考の核心部分に入ります。
習練の努力が長期的に報われる環境整備は何かといえば、
農業に関しては、農地利用のルールの徹底であるとされたうえで、
論考は次のように続きます。

『現在、農業者の老若男女や規模の大小、法人格の有無、商工業との連携状態など
 「誰が農地を利用するのが好ましいか」ということばかりが論じられる傾向がある。
 発想を根本的にあらためて「誰が好ましいか」は特定せず、
 その代わりに「どういう農地利用が好ましいか」を明確にして、
 その実現のための規制や補助金へと、政策体系を抜本的に転換する必要がある。
 公正なルールの下での多様な参入者の競争によってのみ、
 優れた耕作技能をもつ真の農業の担い手が生まれる。』

成長戦略としての農業はどうあるべきなのか?
その針路について重要な示唆を与えてくれる論考だと思います。
久しぶりに農業に関する論考を読んで、知的な興奮を味わいました。
詳しくは原文をご参照ください。