『空飛ぶタイヤ㊤㊦』(池井戸潤:講談社文庫)を読了しました。
この作家の本を一度は読んでみたいと思い購入しました。
読み始めるととても面白く、㊤㊦とも一気に読んでしまいました。
ただ単に面白いだけでなく、本書の随所には、
企業不祥事が起き、それが隠蔽される要因について、
鋭い指摘というか、考えさせられる記述がありました。
例えば次のような…。
・なにしろ“根っこ”はとことん保守的な組織だ。誇り高い組織でもある。
従来から存在する枠組みは許容するが、
それを変えようとする新しい試みに対してはまず拒否反応を示す。
・ホープ自動車という、時として官僚以上に官僚的と言われる社風の中では、
社員の関心事はひたすら、外にではなく、内へと向く。
・縦割り組織のホープ自動車で重要視されるのは、誰が判断したか、である。
ことさら微妙なこの問題においては、特に。
走行中のトラックからタイヤが外れ、
歩行者を直撃して死亡させるという事故を題材に書かれた本書は、
まるでノンフィクションを読んでいるかのような迫力がありました。
企業不祥事が起きる組織体質について、上に抜きだしてみましたが、
著者が言いたかったのは次の一節ではないかと、私は勝手に想像しています。
『どうなっているんだ、この自動車会社は。 タイヤが外れる前に、
こいつらの心からもっと大切な部品が外れちまったんじゃないか?』
そして、もう一つ。本書を読んで心に刻まれた記述があります。
その箇所を以下に書き残しておきます。
『“歯車”という言葉には、良いイメージがない。
組織の歯車。人生の歯車が狂う……。たとえとして使われるときの歯車は、
意思も自由もなく、かといって無いと困る必需品だ。
ただ摩耗していくだけの取るに足らないひとつの部品である。
消耗すれば捨てられる駒だ。だが、結局のところ人は皆、歯車である。
会社でも、家庭でも、なくてはならない歯車だ。
常に働き続けることを期待される歯車である。
歯車から受ける印象はちっぽけで無力だが、
それが担っている役割は果てしなく大きく、そこに求められるのは、
狂ってはならない精緻なリズムだ。』
著者が多くの読者から支持される理由が、
この一節を読んでも分かるような気がします。