日本では、過去最高となる約127万人の外国人が至るところで働いているそうです。
習慣や文化の違いを超え、ともに手を携えることで人口減に悩む日本の成長と活力が高まる、
そんな共生が進むための方策を、現場をよく知る関係者や専門家にインタビューした記事が、
今日1日の日経新聞に、『成長もたらす共生へ』というタイトルで掲載されていました。
その5人の専門家のうち、小熊英二・慶応大学教授の『曖昧な日本の「核」、対応妨げ』
というコメントが勉強になりましたので、その全文を次のとおりこの日記に書き残しておきます。
『日本人とは何か。何をすれば「日本人になれる」のか。
何を失ったら「日本は日本でなくなる」のか。
そのような、近代国家の核についての議論を日本はしてこなかった。
例えば米国なら、自由と平等の理念に忠誠を誓えば「米国人」になれる。
そういう国は、外国人の統合基準もはっきりしている。日本はそこが不明確なのだ。
国名にも表れている。多くの国は「共和国」か「王国」だが「日本国」。
王を核とした立憲君主国なのか理念を核とした(君主のいない)共和国なのかはっきりしない。
個々の政治家には主張があるだろうが、国民的合意はない。
核がはっきりしないから改革も進みにくい。
核が明確なら、それ以外のものは変えていいという優先順位がつくからだ。
外国人政策も何を優先するか決めるべきだ。
あくまで文化的な統一を優先するのか、発展のためならそこは譲るのか。
あるいは、大企業の高度人材が欲しいのか、過疎地域の働き手が欲しいのか。
曖昧なまま「移民は是か非か」といった象徴的議論をしても不毛だ。
外国人政策を担う移民庁の設置など具体的な対応を早くしないと、優秀な人は来なくなる。
それでも文化的統一を守ると決めるなら話は別だが、現状は中途半端。
しわ寄せが外国人技能実習生などに来ているのは憂慮すべきだ。』
う~む、まいったな‥‥‥。
『日本人とは何か。何をすれば「日本人になれる」のか。
何を失ったら「日本は日本でなくなる」のか。』の問い掛けは、
『私とは何か。何をすれば「私になれる」のか。
何を失ったら「私は私でなくなる」のか。』と問われているようで、ドキリとしました。
外国人政策という国家の問題に限ったことではなく、
私個人としても、自らの「核」や「芯」がはっきりしないから、何をやるにも中途半端で、
ちょっとのことでフラフラするのかもしれません。