町立図書館で借りてきた『老人支配国家 日本の危機』
(エマニュエル・トッド著:文春新書)を読了しました。
本の背表紙の、過激な(?)題名だけを見て借りてしまい、「老人支配国家」について書かれているのは、
本書のごくわずかであることに、後で気が付きました。
そういう意味では期待外れでしたが、次のような思考の参考になる記述もありました。
『今回の新型コロナウイルスのパンデミックは、世界各国の現状を浮き彫りにはしましたが、
大きな歴史の流れに何か新しい変化を加えたわけではない、と私は見ています。
世界各国の「死者数」は膨大ですが、その大部分は高齢者です。
現役世代の死者数はわずかで、コロナ以前に想定されていた高齢者の寿命を縮めたにすぎず、
人口動態全体に与えるインパクトは大きくありません。
むしろ「出生者数の減少」と「自粛生活が全世代の平均寿命にもたらす悪影響」の方が今後、
明らかになってくるでしょう。
要するに、「高齢者」の「健康」を守るために、「若者」と「現役世代」の「生活」に犠牲を強いたわけで、
その傾向は、例えば「老人支配」の度合いの弱い英米よりも、
日本のような「老人支配」の度合いの強い国ほど顕著です。
日本は「コロナによる死亡率」を最小限に抑えましたが、社会が存続する上で
「高齢者の死亡率」よりも重要なのは「出生率」であることを忘れてはいけません。』(日本の読者へ)
『日本の最高の長所は、日本の唯一の問題にもなります。それは〝完璧さ〟に固執しすぎることです。
移民を受け入れない日本人は、「排外的」だと言われてきました。
日本人自身がそう思い込んでいるところもある。しかし、私が見るところ、そうではありません。
日本人は、異質な人間を憎んでいるというより、仲間同士で互いに配慮しながら
摩擦を起こさずに暮らすのが快適で、そうした〝完璧な〟状況を壊したくないだけなのでしょう。
しかし出生率を上げると同時に移民を受け入れるには、〝不完全さ〟や〝無秩序〟をある程度、
受け入れる必要があります。子供を持つこと、移民を受け入れること、移民の子供を受け入れることは、
ある種の〝無秩序〟を受け入れることだからです。』(「日本人になりたい外国人」は受け入れよ)
『戦争とは、一方が自分の力を過信する時に起きるものです。
今はEUの側が実力以上に自分を強いと思い込んでいる。
もし本当に戦いになれば、英国人は本気で戦い、かつてナポレオンを打ち破ったように、
ヨーロッパを打ち破るでしょう。
私自身は、1990年代末にプラグマティックな保護貿易を提唱する
「経済幻想」(藤原書店)を出しましたが、英国のEU離脱とトランプ政権の誕生によって、
ついに自由貿易とグローバリーゼーションを主導してきた英米自体が保護貿易の方へ転換しました。
そうである以上、もはや「自由貿易か、保護貿易か」という議論は、
さほど意味を持たなくなるでしょう。
英米以外の国は、近代においてあらゆる変化を先導してきた英米について行く以外にない。
むしろ、「極端な保護貿易か、リーズナブルで賢い保護主義か」ということこそ問題になる。』
(ユーロが欧州のデモクラシーを破壊する)
なお、著者の一貫した主張は、日本の最大の問題は「人口減少」と「少子化」ということです。
これは安全保障政策以上の最優先課題であり、政府が真っ先に取り組むべきは、
経済対策よりも人口問題だと、力を込めて述べられています。
「人口減少」と「少子化」は「静かな有事」と言われているように、
その対策が重要であることに、私もまったく異議はありません。
そういえば、今回の参議院選挙で、候補者や政党の選挙公報に目を通しても、
「人口減少」や「少子化」という言葉は、皆無に近い状態でした。(「少子化」は数か所ありました)
著者ご指摘のように、自国の存亡に直結する問題なのに、どうしてなのかな‥‥?