しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

時間をかけて待つ

今日から8月です。

息苦しいほどの猛暑がこれからも続くと思うと、気が遠くなりそうです。


さて、昨日の朝日新聞デジタル版「耕論」は、『孤独は病か』というタイトルで、

『「孤独」‥‥。家族や学校、会社、スマートフォンで人とつながっているのに、

そう感じることが少なくない。そもそも孤独とは、私たちを自由にするものなのか、

それとも病なのか。』という問い掛けに対し、

いつものように3人の有識者の方が、それぞれ意見を述べられていました。


そのなかでも私は、作家・田中慎弥さんのお考えに共感を覚えた次第です。

田中さんは、高校を卒業したあと15年近く、

33歳で小説家デビューするまで山口県下関市の実家に引きこもり、

ひたすら本を読んでいたとのことで、大学受験に失敗して進学はせず、就職もせず、

外部との接触はほとんどなかったそうです。その田中さんが、次のように述べられていました。


『1人の効用は、人によって違うと思います。

 私は引きこもりの時、やりたいことは本を読むことしかなく、

 読書経験で多くの言葉を自分の中に蓄積できました。

 結果的にですが、小説を書くとき、この蓄積は意味がありました。

 そもそも、ものを考えるって、1人じゃないと出来ないんじゃないでしょうか。

 いまは、立ち止まってじっくり考えることが出来にくい時代。

 常に誰かとつながっていないとダメというのは、奴隷のような状態ではないですか。

    ~ (中略) ~

 自分のことを「さみしいヤツ」と自覚するのは情けないことですが、

 健康に被害がない限り、孤独は「いけないこと」ではありません。

 ただ、極端に孤独で過酷な環境にある人は、いざ何かが起こった時のため、

 どこかに「逃げ場」を求めて下さい。

 私も小説家になった後、仕事がきつく、何度か命を絶とうとしたことがあります。

 そんな時は「時間をかけて待つ」ことが必要です。

 私の場合、歯止めになったのは、やはり本でした。ゲームでも何でもいい。

 逃げ場は作っておいて下さい。』


う~む、なるほど‥‥。

私の場合も、おそらくは「本」が「逃げ場」になりそうです。

ただ、「孤独という世界」で「時間をかけて待つ」ことは、

自分の「全人格」を考えると、正直、とてもできそうにありません。

「緩やかな紐帯」が、誰にとっても必要な気がします‥‥。