しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

答えは自分の中に

なんにも悪いことはしていないのに、日々は無情にも過ぎ去っていきます‥‥。

連休もあれよあれよという間に過ぎ去って、お休みは残り3日となりました。(トホホ)


さて、ほぼ毎日の習慣となっている「こよみのページ」と「日刊☆こよみのページ」のHPの閲覧、

今日は、孟子の言葉が紹介されていて、とても勉強になりました。

その全文を、次のとおり引用させていただきます。


『【尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず】

 (ことごとくしょをしんずれば すなわちしょなきにしかず)《出典 孟子・尽心下》

 書物に書かれていることを、真偽の判断もせずすべてそのまま信じるならば、

 なまじっか書物などない方が良いという意味。

 今はこの「書」は書物全般をさす言葉として使いますが、

 孟子で言うところの「書」は『書経』のこと。言わば聖典です。

 その聖典ですらすべてが正しいと盲信してはならないというのですから、

 他の書物に至っては言わずもがなのことです。

 「書」に書かれていることは答えではなく、答えを導くための材料に過ぎません。

 答えは自分の中にしかないのです。沢山の「書」を読んで沢山考えるしかないのです。

 書物自体が大変貴重だった孟子の時代からは想像も出来なかったことでしょうが、

 現代は「書」があふれています。

 インターネットが普及して誰でも「書」らしきものを書けるようになった今

 「書」は洪水を起こしています。

 ちょっとしたことならインターネットを「ググル」と簡単に答えが得られる便利な時代になりました。

 ですがググッて得た答えが本当の「答え」かどうかは判りません。

 便利になったが故に、落とし穴も大きくなっています。

 「尽く書を信ずれば‥‥」、今だからこそ、思い出した方が良い言葉ではないでしょうか。』


はぃ‥、まことにもって、ご指摘のとおりだと思います。

この解説を読んで、私はなぜか、フランスの哲学者・パンセの、次の名言を思い出しました。

「人間は一本の葦(あし)に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だがそれは考える葦である。」


「答えは自分の中に」という前提には、「自分で考える」という行為が必須なのですね‥‥。