今日6月10日は「時の記念日」です。
「こよみのページ」のHPには、次のような解説がありました。
『1920年(大正9年)に生活改善同盟会が制定したもので、
その由来は「日本書記」に671年の4月25日
(グレゴリウス暦の置閏法を敷衍して適用すると671年6月10日にあたる)に
漏刻と呼ばれる水時計を新しい台に置き、
鐘や鼓で人々に時刻を知らせたと記述されていることを記念して制定。』
そして、今日の日経新聞には、セイコーホールディングス株式会社の
一際(ひときわ)目につく、長針も短針もない時計の文字盤のイラストとともに、
『今日は100回目の時の記念日。「あなたの時間」について考える日』と題して、
次のような文章が添えられた全面広告が掲載されていました。
『‥‥時間とは追われるものではない。一人ひとりの中にあり、一人ひとりが刻むもの。
この先どうなるか、まだまだわからないけれど。
どうかすべての人が、自分自身の、かけがえのない時間を過ごせますように。
時はあなたが刻む。』
う~む、なるほど‥‥。「時はあなたが刻む」ですか‥‥。
だから、時計の文字盤に長針も短針もなかったのですね。
ちなみに、今日の日経新聞一面コラム「春秋」には、
『時間は主観的なものでもある。
昔ラジオの番組で児童文学作家のミヒャエル・エンデが「時間とは生活そのもの。
そして人間の生きる生活はその人の心の中にある」と語っていた。』
『最初の時の記念日からきょうでちょうど100年。時間の大切さは不変である。』
という記述もありました。
考えてみると、時間には格差も差別もなく、すべての人に平等に与えられているもの‥‥。
だとしたら、「時間をいかに大切にして生きるのか」が、個々人に問われているのかもしれません。