日経新聞電子版「Nextストーリー」で連載が続いている「哲学者が考えていること」、
第三回目は、政治哲学者の萱野稔人(かやのとしひと)・津田塾大学教授でした。
記事には勉強になる記述がたくさんありました。例えば次のような‥‥。
・論理の学問である哲学は問題点を整理するのに役立つ。そう萱野は考えている。
「物事を抽象化、概念化して理解しようとする試みは、すべて哲学といっていい。
直感的な思いつきではなく、状況を見定めるのがその基本で、今の時代ますます大切になっている」
・国家や社会など現実的なテーマを設定し、それを哲学のアプローチで考えるというスタイルを貫いてきた。
例えば「国家は戦争や暴力を引き起こすので必要ない」という主張があるとする。
萱野はこう考える。国家がなければどうなるか。私刑などがはびこる社会になるだろう。
私たちがちまたの暴力におびえずに生きられるのは、国家が暴力を独占するためである‥‥。
そうした考察をまとめたのが初の著書「国家とはなにか」(2005年)だ。
・新型コロナウイルス流行による外出や営業の自粛、私権制限も政治哲学の対象になる。
「大きく捉えれば政治哲学の原理は、個人の自由を重んじるリベラリズムと、
集団の利益を大切にする功利主義の2つしかない。これが衝突したり、折り合ったりする」
リベラリズムは「誰でも他人に迷惑をかけない限り自由にふるまえる」という思想だ。
だが他人に危害を及ぼすならば、自由の制限もやむを得ない。
感染症の広がりを防ぐ私権制限は、リベラリズムで正当化できる。
一方の功利主義は英哲学者ベンサムが説いた「最大多数の最大幸福」という概念に象徴されるように、
公共の利益の最大化をめざす。
感染防止は社会全体の利益にかなうので、やはり私権制限を正当化しうるのだ。
感染抑止の利益と、経済活動の利益が対立する構図だった。
だが究極的には「何を重視するか」という価値観に行き着くので、この問題は解決が難しい。
現実は常に多面的で、世界はますます捉えがたくなっている。
根源に立ち返り、原理的に考えるための言葉をどう人々に伝えるか、萱野は考え続けている。
う~む、なるほど‥‥。
新型コロナウイルス流行による外出や営業の自粛、私権制限も政治哲学の対象になるのですね‥‥。
勉強になりました。
そして、この問題は、究極的には「何を重視するか」という価値観に行き着くというのもよく分かりました。
そういえば、萱野さんはかつて、NHKEテレ「100分de名著」に出演されて、
カントの名著「永遠平和のために」を解説されていたことを思い出します。
先日の國分さんといい、今日の萱野さんといい、
NHKEテレ「100分de名著」という番組は、新進気鋭の講師を招聘されていたのですね。
番組の「最も相応しい人材を選ぶセンス」に、改めて感服した次第です‥‥。