日経新聞一面コラム「春秋」によると、今日は民俗学者・宮本常一の没後40年の忌日とのことで、
次のようなことが書かれていました。その全文を引用させていただきます。
『2月から放送が始まるNHKの大河ドラマは、明治期の実業家、渋沢栄一の生涯を描く。
企業の公益性を説いた「道徳経済合一」の思想で知られる新1万円札の顔だ。
三代目が身上をつぶす、の俗言がある。だが、栄一の孫で蔵相などを務めた敬三の名も、今に伝わる。
ことに学術の世界で。若き日は生物学者を志した。
後継者に、と願う祖父は羽織はかまの正装で実業界入りするよう頭を下げ説得した。そんな逸話が残る。
敬三は、学問への思いを捨てず私財で学者の卵を支援する。
その拠点がアチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)。1921年の設立だから、今年で100年になる。
民具や古文書を集め、大衆文化を研究した。
渋沢敬三が研究員に招いたのが、宮本常一という小学校教員だった。
瀬戸内の島に生まれた若者の論文を評価し、励ました。「旅する民俗学者」を育てた恩人だ。
本紙電子版が昨年、コロナ禍の巣ごもりの中で旅気分を味わえる本に、
代表作「忘れられた日本人」を推していた。
さらに推奨したい一書がある。「宮本常一講演選集」だ。
戦時中、太鼓の木材を懸命に集めた職人の話を収める。
やがて戦争は終わる。傷ついた同胞を励ますのが祭りの太鼓の律動だ。
その日を思い、黙々と働く名もなき民に光をあてた。今もそんな人がいるはずだ。
きょうは渋沢家が支えた旅人の没後40年の忌日である。』
経済記事を扱う日経新聞にはおよそ縁遠い、このような文化的なコラムを書くコラムニスト氏に、
私は心から敬意を表したいと思います。
それはさておき、コラムで紹介された「忘れられた日本人」(岩波文庫)といえば、
私には忘れ難い文章があります。
それは、歴史学者・網野喜彦(あみのよしひこ)さんが、「解説」で書かれていた次のような文章です。
『‥‥しかし死の三年前、1978年、宮本氏はさきの自叙伝「民俗学の旅」の結びに近く、
つぎのように述べている。
「私は長い間歩き続けてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。
(中略)その長い道程の中で考え続けた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。
発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。
(中略)進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、
時にはそれが人間だけではなく
生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつあるのではないかと思うことがある。
(中略)進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、
われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う」
これはまさしくわれわれの、現代の人間につきつけられた課題そのものといってよい。‥‥』
コロナ禍の中では、ひと際、重く心に訴える文章だと思います。
日本も日本人も、一度、リセットすることが求められているような、
そんな時代のような気がしてなりません‥‥。