ギックリ腰による腰痛と、新型コロナワクチンの接種部位の痛みに加え、
昨日は、朝から強い倦怠感に襲われました。
試しに熱を測ってみると37.2度、お昼ごろには37.4度まで達しました。
この日は父の2回目の接種日でしたが、車イスを押して医療機関まで連れて行くのはとても無理で、
仕事が休みだった妻に車を出してもらい、病院内での付き添いだけを私が担当しました。
活動したのはこれだけで、あとは何をするでもなく、終日、横になって過ごしました。
絶不調の一日でした‥‥。
(ちなみに今日は、すっかり熱も下がりましたが、ウォーキングは数日控えるつもりです。
これから新型コロナワクチンを接種される方は、2回目の方がダメージが大きいので、
くれぐれもお身体ご自愛ください。)
さて、昨日の日経新聞一面コラム「春秋」に、
立花隆さんがお亡くなりになったことを受けて、追悼のコラムが掲載されていました。
その全文を次のとおり引用させていただき、この日記に書き残しておきます。
主人公の青年が、病で亡くなろうとしている老人の家を訪ねる場面がある。
書庫に並ぶ書物に圧倒され、全ての本に傍線や書き込みがあるのを見て心が揺さぶられる。
知性とは。命とは。自らの行く末に思いをはせる。
訃報が伝えられた立花隆さんも本を「かなり汚しながら」読むと著書「読書脳」で語っている。
線を引き、記号をつけ端を折る。
電子書籍には近しさを感じず、形のある本の色や手触りとともに内容を覚え、保管する。
増えた本で家の床が2度抜けたため、
書庫兼書斎の通称「猫ビル」を東京・小石川の坂の途中に建てた。
友人の妹尾河童さんは交友記で、立花さんを「遊びと仕事の境界線がない人」だと評する。
好奇心と行動力の塊で、夜中に電話で「今すぐそちらに行く」と言い
妹尾さんが絵を描く様子を観察する。政治も宇宙も面白いから取材したとみる。
膀胱癌(ぼうこうがん)の手術中も医師に質問を重ね、危ないから黙るよう叱られたと本人も記す。
先週末の猫ビル前には、故人を偲(しの)び万巻の書が詰まった建物を見る愛読者らの姿があった。
書店には追悼の棚ができ、図書館で主要な著作は軒並み貸し出し中だ。
墓は「自然の循環の中に入りたい」からと樹木葬を選んだという。
本を読む楽しさを多くの人に伝えてきた知の森の名案内人が、自然の木々へと帰っていった。』
立花隆さんの逝去を知らせる報道があったのは今月の23日でした。
それから、なかなかこの一面コラムに掲載されなかったことを不思議に思っていましたが、
ようやく昨日になって掲載されました。
「知の森の名案内人が、自然の木々へと帰っていった」‥‥。
故人への追悼の誠と尊敬の念が十分に伝わってくる、そんな秀逸なコラムに私は感じました。