しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

知ることに限界はない

立花隆さんの1周忌に当たる、先月30日に放映された

NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が ~ 立花隆 最後の旅」は、良質な番組だったと思います。

番組のなかで印象に残った立花さんの語録を、次のとおりいくつか抜き出してみました。


『やっぱり生きるって面白い 分からないから面白い 人間という存在はもっと豊かで

 そう簡単にこうだと言えないから そこに面白さがある』


『人間はどこから来てどこに行こうとしているのか

 そこのところをいろんな角度から光を当てて 考えるということを続けてきたわけです』


『そもそも我々人間がやっている文化的営為 それは一体何なのかという問題があるわけです

 それは人間の存在あるいは人間が作り出す文化を どういう視点から捉えるかという

 それは一体 誰がどうやって 誰がどうやったところは どうやって判断するのか

 哲学的な根本的な分け目のところが人類史の中で 誰もちゃんと回答していない 回答できない

 そういう部分があって 一番面白い部分があるわけです

 だいたい哲学って 僕は実は哲学の卒業生でもあるんですが 

 哲学の最も面白いところは そこにあるわけです

 学問の面白さの相当部分は 実はその辺りにあるわけでして』


『要するに我々の現在 自分自身の現在 そしてその現在を踏まえての将来の展望

 そういったことが全部分からないんだと

 だから僕はずっと昔 僕は最後には「歴史」という本を書きたいと

 その「歴史」という僕の本は ビックバンから始まる歴史を全部書きたいと』


『知の営みは やればやるほど 分からないことがさらに広がっていく

 何を知らないか 何をどれほど知らないか だんだん分かってきた 知らなさの具合が分かってきた』


『人間というのは そう簡単にがんから逃れられない 生きることそれ自体ががんを育てている

 そういうことが分かってくるわけです やっぱり人間は基本的に死すべき動物というか

 死なないってことはあり得ないんです だからどこかで病気が差し迫ってきたとしても

 どこかでその来るべき死を受け入れる スイッチを切り替える以外にない』


『人間は不死ではなく 死すべき運命にあるということです

 しかし人は 自分が死すべき運命にあるということを自覚したとたん

 その運命を乗り越えることができるのではないか とも思いました

 自分は弱い人間だけれども 周囲に支えられて こうしてここまで生きてくることができた

 その周囲の人に対して 最後にありがとうのひと言を言いたい という言葉です

 人間の限りある命は 単独であるわけでなく

 いくつもの限りある命に支えられて 限りある時間を過ごしていきます

 それは周囲に支えられて存在するという意味において

 「いのち連環体」という 大きな「わっか」の一部でもあります

 そして そういう連環体が連なって大いなる「いのち連続体」をなしている

 そういうふうに見ることができると思います 』


現代社会において最大の問題は あらゆる知識がどんどん細分化し断片化し

 ありとあらゆる専門家が 実は断片のことしか知らない 専門家が総合的にものを知らない

 それが現代における最も危機的な部分であるから 断片化した知を総合する方向にいかなければいけない

 自分を教養人に育てられるかどうかは 自分自身の意思と能力と努力次第なんです』


立花さんの「知の営み」や「死生観」が、一つひとつの言葉に凝縮されているように思いました。

立花さんが書きたいと願われていた「歴史」の本を、私も読んでみたかったです‥‥。