しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「三流民主主義」を考える

昨日の続きです‥。


6月15日(木)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、片岡義男さんの

「政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない。」

という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『この国の政治は三流だ、という言い草はひどく「呑気(のんき)」だと作家は言う。

 政治が三流だとしたら、人々の投票時の判断が三流だったから。

 何ごとも政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから。

 こうしたお委(まか)せは、抜本的な改革を回避するため、やたらと改革を口にするほどに根深いと。

 「日本語の外へ」から。』


昨日、そして今日と、政治に関する「ことば」とその「解説」でした。

「何ごとも政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」というのは、

投票を棄権するのと同じく、いわゆる「お任せ民主主義」のことを指すのでしょうか。

「三流民主主義」と言えるのかもしれません‥。

そういえば、J・S・ミルの名言に

「国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである」があったことを思い出しました‥‥。