今朝、氏神神社の清掃に行ってきました。
明後日の30日に夏祭り(輪越し祭り)が予定されているため、月末の清掃を前倒ししたものです。
さて、古本屋で購入した「孤高の人 上・下」(新田次郎著:新潮文庫)を読了しました。
「なぜ、なんのために山へ登るのか?」という問いに対して、いくつかの記述がありましたが、
主人公・加藤文太郎は宮村という人物に、胸の中で次のように答える場面があります。
『なんのために山へ登るかという疑問のために、山へ登り、
その疑問のほんの一部が分かりかけたような気がして山をおりて来ては、
そこには空虚以外のなにものもないのに気がついて、また山へ行く‥‥
この誰にも説明できない、深いかなしみが、お前にはわからないだろう』
なんだか、ザ・ブロードサイド・フォー「若者たち」の歌詞を連想させるものがあります。
♬ 君の行く道は 果てしなく遠い だのになぜ 歯を食いしばり 君は行くのか そんなにしてまで
人生における「青春」というのは、「答えのない旅」なのかもしれません‥。
そして、主人公とその妻・花子の出会いと別れに関する
「切れた下駄の鼻緒」のエピソードは、とても切ないものがありました。
郷里の神社で、鼻緒を切らして泣いている花子のところへ現れたのが主人公であり、
山へ行く主人公と別れる際、その乗っている自動車を追った時にも、花子が履いていた下駄の鼻緒が切れ、
そのいずれの鼻緒も赤だったという記述は、涙を誘うものがありました。
この小説は、実際の人物の生涯を追った物語だけに、真に迫るものがありました。
特に、冬山の記述は、読み応え満点です‥‥。