昨日は町立図書館に行って、9月3日(日)から9月9日(土)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
この一週間で印象に残ったのは9月9日(土)、栄久庵憲司さんの
「道具を粗末に使えば、道具は粗末にうまれる。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『一つ間違えば指を刺す針は、かつて女性の生涯を支える道具であった。
人は自身の生死が懸かるそれを労(ねぎら)い、供養もした。
道具は「人間を超えたところを示してこそ道具である」と工業デザイナーは言う。
道具を箱に納めてその霊(たましい)を休ませ、箱から取り出してまた奮い立たせる。
道具への畏れを忘れればその働きも細り、指を刺す以上に危険だと。「幕の内弁当の美学」から。』
「針」といえば、亡き母は裁縫が得意でした。
私と弟が子供の頃、母はその特技を生かし、ミシンを踏みつつ、二人の服を作ってくれたことを思い出します。
そして、私が妻と結婚し、さらに妻に娘が生まれると、
女の子の服を作ることがたまらなく嬉しいようで、よくその二人の服を作っていました。
ですから、母が愛用していた裁縫箱とミシンは、なんだか母の霊魂が今でも宿っているようで、
処分することができないでいます‥。これも「道具への畏れ」だと思います‥‥。
追記
長い18年間でしたが、それだけに感慨深いものがあります。
次は、日本一に向かっての更なる活躍を祈っています‥‥。