昨日の続きです‥。
プロ野球日本シリーズは昨日、京セラドーム大阪で第7戦が行われ、
阪神がオリックスに「7」対「1」で快勝し、対戦成績を4勝3敗として
1985年以来38年ぶり2度目の日本一に輝きました。
「阪神日本一」を受けて、今日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。
『その年は年初から騒々しかった。グリコ・森永事件で「キツネ目の男」の似顔絵公開に始まり、
そしてお盆に524人を乗せ大阪に向かった日航機が墜落する。
どれも関西に縁が深いのは何かの暗示だったのか。
最大の「事件」がプラザ合意である。双子の赤字の米国。貿易黒字の日本。
不均衡を正す合意はその後数年で世界に冷戦終結、日本にバブルをもたらした。
エコノミストの吉崎達彦さんがこの年を描いた著書「1985年」によれば
「日本人が最後に『坂の上の雲』を見た年」。阪神が日本一になったのはそんな年だった。‥‥』
私個人にとっても、この年の4月には娘が生まれ、9月には真夜中に十二指腸に穴が空き、
緊急の開腹手術を受けて職場を離脱するなど、波乱に満ちた忘れ難い年でもあります。
あれから38年‥。
今日は、コンビニに「デイリースポーツ」を買いに行きました。
今日のこの新聞も、大切に保存したいと思っています。
その紙面には、日本シリーズのターニングポイントとして、第4戦の「湯浅の一球」を挙げていました。
私もそのように感じています。
振り返れば、我が人生にも「あの時がターニングポイントだった」と思うシーンが、いくつか蘇ります‥‥。