しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

路上の石を踏石に変える

午後4時前から雨脚が強くなつてきました。冷たい雨ではなく、比較的暖かい雨です。


さて、昨日の続きです‥。

1月10日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ルビー・ブリッジズの

「わたしたちをつまずかせる路上の石を、大きく踏みだすための踏石に変えること」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『米国で公立学校での人種分離が違憲とされた後、白人だけの小学校に最初に入学した黒人少女。

 保護者の反撥は激しく、親は失職した。のちに公民権運動家として各国の子どもらと出会い、

 「差別主義者として生まれてきた人間」などいないと確信した。差別は「おとなの病気」。

 それを癒せるのは誰もがいつかそうであった子供の眼だと。「ルビーの一歩」(千葉茂樹訳)から。』


なるほど‥‥。差別は「おとなの病気」で、それを癒せるのは「子どもの眼」ですか‥。

とっても重みのある言葉だと思います。

「路上の石を踏石に変えた」人物が彼女以外に、歴史上多く存在したことを忘れずにいたいものです‥‥。


そして、同じ日の同紙一面コラム「天声人語」は、旧田中角栄邸が全焼した話題で、

そこには次のようなことが書かれていました。

『‥‥田中政治とは、未来を信じられた高度成長期の産物と言える。昭和の政治と言ってもいい。

 鉄道や道路をはりめぐらせた「光」と、政治をカネまみれにした「影」。

 その象徴だった目白邸の焼失に、改めて時代の変遷を思う。

 残照はいよいよわずかとなり、影ばかりが長く伸びる。』


「残照はいよいよわずかとなり、影ばかりが長く伸びる。」ですか‥。

コラムニスト氏の、こういう洗練された文章表現を見習いたいものです。

と同時に、田中角栄という稀有な政治家の名を聞いて、

「戦後日本の悲しき自画像」というフレーズを思い出しました‥‥。