『危機の宰相』に引き続き、
町立図書館で借りてきた『ロッキード』(真山仁著:文藝春秋)を読了しました。
ロッキード事件で田中角栄元総理が逮捕されたのは、1976年(昭和51年)7月で、
当時、私は大学2年生でした。
元総理の逮捕や関係者の国会証人喚問の際の映像は、断片的ながら今でも思い出すことができます。
その40数年前の事件の真相に迫ろうとした本書ではありますが、
「関係者の多くが物故者で、今を生きる人の間接証言に頼らざるを得なかったこと」、
「既存の文献や資料の分析・再検証がほとんどだったこと」などを割り引いても、
事件のキーマンの生い立ちや経歴、70年代という時代の背景、事件に関しての疑問や問題点の提示など、
その核心に迫った内容は濃密なものがあって、とても読み応えがありました。
あえて本書で印象に残った記述を一つ挙げるとすれば、次の一節でしょうか。
『米国、三木総理、検察庁、そしてメディアーーはそれぞれが欲しいものを手に入れるために、
角栄を破滅の淵に追いやった。角栄にとっては、あまりにも理不尽で不運な事態が、重なった。
だが、角栄を破滅させた本当の主犯は、彼らではない。
政治家・田中角栄の息の根を止めたのは、別にあった。世論だ。
かつては今太閤と持て囃した国民こそが、角栄を葬ったのだ。』
本書を読んで、ロッキード事件は、今でも「未解決事件」であることを再認識した次第です。