しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「潔い負け方」を尊重する

昨日の続きです‥。


3月19日(火)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、山崎正和さんの

「認知を求める心理のなかには、優越するために他人との同等を必要とするという逆説が働く」

という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『一角(ひとかど)の人間として他の人たちから認められる人には、まずは、人を認める能力があるという、

 他者たちへの信頼がなくてはならないと、劇作家・評論家は言う。

 例えばスポーツで攻撃の応酬を楽しんでも、相手を打ちのめしてはならない。

 負けても潔い負け方と尊重されるからこそ、人は競技に参加する。議論も同じ。「文明の構図」から。』


なるほど、「競技」も「議論」も、

「負けても潔い負け方と尊重されるからこそ、人は参加する」ものなのですね。

そしてそこには、「他者たちへの信頼」が必要なのですね‥。

はて、国会における与野党間での議論(質疑応答)は、どうなのかしら‥‥?