一昨日の続きです‥。
10月28日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、井上ひさしさんの
「完璧な国などありません。早く間違いに気がついて、自分の力で乗り越えていくことにしか未来はない」
という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『一度も過ちを犯すことのなかった国などどこにもないと、作家は言う。
国の最大の安全保障は他国の信頼を得ることにある。
その信頼は、自分たちの国の過ちに気づき、それを乗り越えんと苦労している国民の姿に、
他国人が深く感じ入った時に生まれる。仕方がなかったと言い続けたところで信頼は得られないと。
「日本語教室」から。』
この前日、27日(金)の同紙一面コラム「天声人語」は、
「ガザの子どもたちの死」に関する内容でしたが、そこには次のような記述がありました。
『自らが信じる「正義」のためならば、不正義を行ってもいいのだろうか。
もしも、そうだとしても、悪を打ち倒すための不正義はどこまで許されるのか。
幾多の先人が考えた普遍的な問いがいま、脳裏にこびりつき、離れない。
パレスチナ自治区ガザでの犠牲者が、増え続けている。2千人を超える子どもが殺されたという。‥‥
‥米ハーバード教授を務めたマイケル・イグナティエフ氏は、自著「許される悪はあるのか?」に書いた。
「最も困難なのは善か悪かの選択ではなく、悪かそれ以上の悪かの選択である」‥‥』
イスラエルとパレスチナ・ハマスの「終わりなき衝突」の現実を目にするとき、
井上ひさしのさんの「ことば」が、空しく心に響きます‥。
「国の最大の安全保障は他国の信頼を得ることにある」は日本国憲法前文の精神と理解してますが、
そうした世界が訪れる日は、本当にやって来るのでしょうか‥‥?