先月29日の朝日新聞「天声人語」を読んでいると、次のような文章がありました。
『 ~(略)~ 「買うのでも借りるのでもよい。
とにかく自分の街の中で本を活発に回す拠点が欠かせない。
本は街の文化の最後のとりでです」。
夕暮れの実験書店の店内を歩きながら、
筆者が子供のころ故郷で親しんだ書店を思った。
何年ぶりかに訪ね、畳まれた店の跡をみた時の胸の痛みがふいによみがえった。』
私が中学生から高校生の頃、母が隣の市の書店に配達を頼んでくれた
「中学〇年コース」や「高校〇年コース」という雑誌が、
月に一回、自宅に届くのを楽しみにしていました。
というのも、当時、私が住んでいる町には書店がなかったのです。
母が配達を頼んでくれた書店は、伊予市の商店街にありましたが、
郊外電車でその書店に行くためには、最寄りの駅から二駅もありました。
当時の私にとっては、とても遠く感じて、
たまに意を決して本を買いに行っても、小さな書店だったので、
お目当ての本が見つからないことも多々ありました。
それでも、本の背表紙を眺めると、とてもワクワクしたものです。
今はどうかというと、その小さな書店はがなくなったけれど、
我が町には、町を南北に走る国道56号線沿いに郊外型の書店があるほか、
大型ショッピングセンターの中にもチェーン展開している書店があります。
また、書店という存在が無くても、アマゾンで注文すれば、
お目当ての本が一両日中にも自宅まで届く時代になりました。
ただ、やはり本好きの私にとっては、書店や図書館は必要不可欠の存在です。
(私の老後は、ネットスーパーや自宅から至近距離のコンビニの存在も
必要不可欠な存在になると思っています。)
『本は街の文化の最後のとりで』というのは、
「本当におっしゃるとおりだ」とコラムを読んで思った次第です。