しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

公約の読み方を学ぶ

昨日に続いて、衆院選挙に関しての日記です。

今日13日の日経新聞電子版には、経済政策に関する主要政党の公約の読み方について、

官庁エコノミスト出身の小峰隆夫・大正大学教授へのインタビュー記事が掲載されていました。

このなかで、特に私が注目したのは、次の二つの質疑応答です。


Q.消費税についての公約は、税率を上げて使う派と上げない派に分かれました。

A.私の理解では自民党は当初は2019年10月に消費税率を10%に引き上げ、

  増収分のかなりの部分を財政再建に使う方針としていた。

  選挙に際してそれを修正し、10%に上げるが使い道を子育てや

  教育支援に相当振り向ける方針に変更した。

  増収分の使途を子育て支援に重点配分するアイデアは、民進党の前原誠司代表が言っていた内容に近い。

  自民党民進党に近づき、消費税については政策の差がほとんどなくなってしまった。

  そこに希望の党が出てきて消費増税の凍結を掲げた。

  立憲民主党も消費税は今の経済状態では上げないということになっている。

  増税してそれを使うか、消費税率を上げないかという対立になってしまった。

  消費税率はきちっと引き上げて財政再建に使うべきだという経済学者は多い。

  そういう考え方を支持しようと思って投票する政党を探しても、選択肢がないという局面になっている。


Q.政策のコストと便益を普通の人が比較するにはどうしたらいいですか。

A.一般の人に分かりやすいものはなかなかない。

  経済学者は世代会計に注目し、社会保障政策のコストと便益を比較している。

  世代ごとにどのくらいの社会保障費を負担し、どのくらいベネフィットを受けるのか計算すると、

  若年世代の方が支払いが多く便益が小さい。

  自民党が掲げる全世代型社会保障というのは、高齢者向けはそのままにして勤労者向けも増やすため、

  社会保障費が膨らむ懸念がある。配分を変えて高齢者向けをどうやって合理化し削減するのか、

  浮いた分で子育て世代向けをどう拡充するか。再配分できるかが重要だ。


う~む、なるほど‥‥。まず、一つ目の消費税に関しては、

小峰教授のご指摘で、「消費税率はきちっと引き上げて財政再建に使うべきだ。」という選択肢が、

各党の公約には見当たらないことに初めて気がつきました。

(この国では、半永久的に国・地方の財政再建ができないような気がしてきました。)

二つ目の政策コストと便益に関しては、

私は、恥ずかしながら、こうした観点で深く物事を考えたことがありませんでした。

ただ、再配分には困難が伴うことは、「肌感覚」でよく理解できます‥‥。

歴史は国民がつくるもの

今日12日の朝日新聞デジタル版に、

昭和史に詳しいノンフィクション作家・保阪正康さんへのインタビュー記事が掲載されていました。

今回の衆院選挙が歴史の中ではどう位置づけられかについて、

とても含蓄に富むお言葉がありました。以下は、そのQ&Aの抜粋です。


Q.投票の判断基準になる争点をどう考えますか。

A.憲法9条、米国のトランプ政権との関係、北朝鮮への対応、

  この三つを党の政策としてどうするか、それが争点と考えます。

Q.北朝鮮問題と少子高齢化が「国難」とされました。

A.戦前は「国難」や「非常時」が日常的に使われていた。

  時代や言葉に対するデリカシーが感じられない。そのうち「非常時」が飛び出すのでは。

Q.政治家のモラルはどこにあるのでしょう。

A.時代を超えて生き残るモラルはヒューマニズムだと思います。

  うそをつかない、誰にでも平等など、人間の存在にかかわる人生観や哲学。

Q.歴史に学ぶ政治家はいないのでしょうか。

A.保守革新を問わず、昭和史の中に答えを探そうとする政治家を知っています。

  問題意識を持つ人は、どこかで自制心が働くと信じたい。

  有権者も4~5割を占める無党派層がバランスをとるでしょう。

  心配なのは棄権。現状を肯定、固定することになる。

  候補者と100%意見が合わなくても、さしあたり「次善の策」で判断するしかない。

  歴史は国家ではなく国民がつくる。

  我々には知る権利という市民的権利があることを、義務教育で教えるべきです。

  我々の側から発想を変えないと、社会は変わりません。


う~む、なるほど‥‥。

このなかで、特に私が注目したのは、

『心配なのは棄権。現状を肯定、固定することになる。

 候補者と100%意見が合わなくても、さしあたり「次善の策」で判断するしかない。』

という言葉でした。

現状を肯定、固定化しないためには、

セカンドベスト」の選択であっても、棄権せずに投票に行くことが大切なのですね‥‥。

いつも選挙を棄権している我が娘にも、この旨、必ず伝えたいと思います。

人の心のひだを見つめる

日経新聞によると、2017年のノーベル経済学賞は、

「心理学を経済学に反映させた」、「人の心を組み込んだ経済学をつくった」という授賞理由で、

シカゴ大学のリチャード・セイラー教授に決まったそうです。

そのセイラー教授の功績などを、日経新聞電子版の記事や朝日新聞天声人語」から抜粋して、

この日記に書き残しておくことにしました。


・人間はだらしなかったり、短絡的だったりするけれども、

 「ナッジ(nudge=小さな誘導)」を与えれば社会を良く変えられる。

 そんな彼の理論は、米国や英国、日本でも政策や企業のマーケティングに応用され始めている。

・セイラー氏の成果としては「心の会計」(メンタル・アカウンティング)と呼ばれる理論がある。

 例えば、人は苦労してためたお金は慎重に使おうとするが、

 あぶく銭は簡単に使ってしまう。そのようにお金の色分けをして行動することを示した。

・「セルフコントロール(自己抑制)の欠如」にも注目。

 人間は「現在」と「未来」の時間差によって意思決定が変わる。

 例えば、すぐに1万円をもらえるのと、2年後に2万円をもらうのとでは、

 たとえ2年後の方が得だったとしても、人はすぐ1万円をもらうことを選びやすい。

 「今」という要素が大きく行動を左右することを示した。

・従来の経済学が想定した常に冷静で合理的な人間を「エコン」と呼び、

 「人間はもっと不合理。エコンではなくヒューマンだ」と唱えた。

・フェアマン(公平な人間)とゲームズマン(かけひき屋)。

 行動経済学者は「人の中には両面が同居する」と考えた。


そして、日経新聞電子版の記事には、次のようなことも書かれていました。

『「経済主体は人間。経済モデルはそれを取り入れなければならない」。

 9日の受賞決定後の電話会見でセイラー氏は自分の研究において最も大切なことを聞かれて、こう答えた。

 著作の中では研究の3原則を「観察する」「データを集める」「主張する」と挙げている。

 観察やデータなき主張。主張なきデータ。こんな事例が社会に増えていないだろうか。

 人の心のひだを見つめ続けたセイラー氏の研究姿勢は、

 経済学者にとどまらず、政治家や官僚、そして企業のリーダーのあり方にも警鐘をならしている。』


う~む、なるほど‥‥。

経済学者に限ったことでなく、世に言うリーダーも「人の心のひだを見つめる」姿勢が大切なのですね。

経済学という学問が、「人間くさい」一面を併せ持つことがよく分かりました。

それにしても、ノーベル経済学の受賞者は、どうしてアメリカ合衆国の出身者が多いのでしょう?

素朴な疑問です‥‥。

日本には、バブル崩壊やデフレ経済、そして異次元緩和など、

金融・経済の研究テーマには事欠かないと、個人的には思うのだけど‥‥。

閉鎖系と開放系

この二日間、「えひめ国体」高校野球(硬式)を観戦して気がついたのは、

私と同年配ぐらいの熟年夫婦が多かったという事実です。

夫婦で仲睦まじくスポーツを観戦している光景は、まるで詩人・坂村真民さんの

『花咲けば共に眺めん 実熟せば共に食べん 悲喜分ち共に生きん』の世界のようで、

私はとても羨ましく感じた次第です。

娘や孫娘を通じて辛うじて夫婦の絆が保たれている我が家とは大違いです。(苦笑)


さて、話は変わりますが、今日10日に衆院選挙が公示されました。

昨日9日の溜池通信・不規則発言では、「かんべえ」さんが

『明日は公示日』と題して、次のようなことを述べられていました。


・「東京から日本を変える」ということは、小池さんも言ってるし、石原さんも言っていた。

 以前から引っかかっていたことなのだが、国と自治体には大きな違いがある。

 国家は閉鎖系であり、都市は開放系である。

 仮に東京都の政策が嫌な人は、他の道府県に引っ越しするという権利がある。

 逆に東京都の側としては、開き直って「ついて来れない人は置いていくよ~」と言えてしまう。

 だけど国家にはそれができない。日本人を辞めるのは大変なのです。

・この開放系と閉鎖系の違い、気づいていない人が多いです。

 企業のトップの人が、「俺に日本国総理をやらせてくれれば‥」みたいなことを考えるのも同様で、

 企業なんて所詮は開放系の組織なんですから、

 経営者として成功している人でも、閉鎖系の難しさがまるでわかっていないことがある。

 その典型がトランプ大統領で、国家を統合するという仕事を放棄してしまっている。

 やっぱりアメリカ大統領ともあろうお方が、

 「ついて来れない人は置いていくよ~」では拙いんだよな。

・全体が向かうべきベクトルに合わせて、都市がその方向に先導するのが理想だと思います。

 でも、単に政府に文句を言うためだけに、都市が「ええかっこしい」をしていることもある。

 野心家が自治体のトップになった時は、特にありがちですな。

 小池さんが東京都でやってきたことは、たぶんにそういうところが多かったのではないだろうか。


う~む、なるほど‥‥。

『国家は「閉鎖系」であり、都市は「開放系」である』というのは、言い得て妙だと思います。

東京都に限らず、地方自治体の政策が嫌いな人は、

他の地方自治体に引っ越すという究極の選択肢があるのは、

「かんべえ」さんご指摘のとおりなのですが、

現実問題としては、政策の好き嫌いで引っ越しする人、

または、引っ越しができる人はそう多くはないと思います。


それよりも、このコラムを読んで問題と感じたのは、

開放系地方自治体のトップの方が閉鎖系の国の政策うんぬんを語るという点です。

閉鎖系の国に住んでいることを前提に、

開放系の政策の是非を問うというのが本来の姿なのですね‥‥。

快晴のお天気に誘われて‥‥

快晴のお天気に誘われるように、

今日も「えひめ国体」高校野球(硬式)の準決勝を観戦に、坊ちゃんスタジアムに行ってきました。


第一試合「広陵」対「東海大菅生」の試合は、8回裏に東海大菅生が4対3と一点差まで詰め寄り、

面白い試合展開となりましたが、9回表に広陵が一挙に6点を取って試合の大勢を決めました。

9回裏に東海大菅生の一番田中選手が、左翼に放った意地のソロホームランが印象に残りました。

下の3枚の写真のうち右側の写真は、3位表彰式で行進する東海大菅生の選手の皆さんです。

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第二試合「大阪桐蔭」対「津田学園」の試合は、一方的な試合展開となりました。

大阪桐蔭の猛打が爆発し、12対0で津田学園に5回コールド勝ちしました。

大阪桐蔭の選手は、皆さん体格が立派で、

どの選手が4番打者なのか、途中で分からなくなったぐらいです。

下の写真3枚は、試合終了後に行われた3位表彰式の様子です。

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引き続き行われる決勝戦も観戦したかったけれど、自身の体力のことを考えて、

この3位表彰式を見届けて帰路に就くことにしました。

夕方、試合の結果が気になってネットで確認すると、

広陵が7対4で大阪桐蔭を破り、国体初優勝を果たしたそうです。

夏の甲子園準優勝に続いての快挙、誠におめでとうございます。


この二日間、高校野球を堪能しました。

観戦して感じたのは、全国強豪校の攻守両面でのレベルの高さです。

愛媛県のチームがこれら全国強豪校を撃破し、

春のセンバツ夏の甲子園で再び優勝できるのはいつの日なのか‥‥。

なかなか難しいとは思うけれど、私の人生訓の一つは「待つこと、そして希望すること」。

きっと実現する日が来ると信じて、辛抱強く待つことにします。