「田中角栄〜戦後日本の悲しき自画像」(早野 透著:中公新書)を読了しました。
この本の中では、田中角栄以外にも、多くの政治家が登場します。
私は、著者が書かれた次の三人に関する記述が、特に心に残りました。
まずは、当然のことながら田中角栄です。迷った挙句、次の文章を紹介します。
『児玉隆也の「淋しき越山会の女王」は、田中角栄論として、傑出した名作である。
そのなかのこのくだり、わたしは共感する。ここに引用しておきたい。
田中角栄のカリスマは、金を最大公約数とし、最小公倍数に、彼の実人生上の神話がある。
だがよそ目には彼の神話はいま色褪せたと見えても、彼には独学者の自負が残っている。
彼は、世の中が悪い政治が悪いという前に、
オレが歩んだ人生のように、爪から血を流すような努力をお前たちはしてきたか、
という思いからぬけきれない。〜(以下、略)〜 』
次に、福田赳夫。
『福田は「政治は最高の道徳」と言い続けた。
国や社会は、人間が長い時間をかけて育てあげた仕組みである。
人は社会公共のために奉仕しなければならない。
その奉仕の量の多寡が、
その人の人生の価値を計る基準のひとつであるというのが福田の人生哲学である。
であればこそ、政治は「最高の道徳」でなければならないのである。』
最後に、大平正芳。
『クリスチャンの大平は「キリストから盗賊、遊女まで、
聖書は絢爛たる人間関係の一大小説」と言っていた。
「政治はできることとできないことがある」と言い、
「一利を興すより一害を除くほうがいい」という謙虚な政治思想の持ち主だった。
「翌日は枯れてしまう草花にも心をこめて水をあげる心」
を大切にしたいと言い続けた。』
どうでしょうか?
三人の政治家の人物像を、見事に表現している文章だと思います。
三人の政治家が、味わいのある言葉を残されているのに感心すると同時に、
今の政治家には、後世に残る「政治哲学」や「人生哲学」を
国民に語ることができる人が何人いるんだろう、とも思いました。
この本の帯紙には、
「戦後民主主義の中から生まれ、
民衆の情けを揺さぶり続けた男の栄光と蹉跌」を
「角栄を最後まで追いかけた番記者が語る」と書かれています。
この本も、「田中角栄論として傑出した名作」のひとつだと思います。
- 作者: 早野透
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 新書
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