今月2日(金)の日経新聞「経済教室」は、
猪木武徳・青山学院大学特任教授の「歴史と思想に学ぶ」シリーズで、
タイトルは『安易な「改革」に危険も』でした。
猪木教授はこの論考で、
制度の変更を軽々に求めないという保守的姿勢が、
リベラリズムの健全さを支えるということを指摘されています。
論考の中で一番印象に残ったのは、保守主義の神髄についての次の記述でした。
『「制度」と価値意識の乖離問題は、保守主義の意味を改めて反省させてくれる。
保守思想は必ずしも自由主義と相対立するものではない。
学界や論壇で、概してマルクス主義の影響が強かった20世紀の日本では、
あらゆる変化に反対を唱える頑迷な守旧派を「保守主義者」と呼んできた。
しかしこれは大いなる誤りである。
保守主義は真の自由主義の一要素であり、
保守的要素を欠いた自由主義は軽佻浮薄(けいちょうふはく)に流れやすい。
より良い状態を実現できる十分な根拠が存在する場合のみ改革や変化を受け入れ、
軽々に制度をいじらず、改革の根拠をめぐる議論を知性の力を用いて十分に尽くす。
そこに保守主義的姿勢の神髄があるのだ。』
そして、私たちに身近な例として取り上げられた次の箇所は、
読んでいて溜飲が下がる思いでした。
『企業組織においても、新任の課長や部長で、
すぐさま「改革、改革」と言い出すのは力不足のリーダーが多いといわれる。
確かに従来の制度の非合理性を指摘すると、「改革論」は説得力を持つ。
しかし一つの制度は、
多くの試行錯誤と想定外の事象を経て現在の形を取ったものが多い。
「制度を変えれば、うまくいく」という素朴な思考は危険な幻想とも呼べる。』
まことに猪木教授のおっしゃるとおりだと思います。
上記のような「改革」を唱える上司に反対意見を述べると、
すぐに「抵抗勢力」というレッテルを貼られてしまいます。
私にも苦い経験があります。
論考の最後に書かれている次の記述は、
いわゆる「新自由主義」に対する猪木教授の批判のように私には思えるのですが、
これに対しては、どのような反論が考えられるのでしょうか?
「軽さ」と「薄さ」という言葉は、すごく挑発的なような感じがしました。
『制度を短期的な「合理性」の視点からだけ評価するのは一面的に過ぎる。
社会には目に見えない複雑な精神的要因が伏在している。
目的合理性の視点から理性的に社会をデザインすると、
長い時間を経て歴史的に生まれ出てきた制度の中核部分を見失う恐れがある。
「構造改革」という言葉にこうした軽さと薄さがあることをあえて指摘したい。』
「慎重さ」は、保守主義の性格なのかもしれません。