今日の愛媛新聞に掲載された『鎌田慧の「忘れ得ぬ言葉」』は、ジャーナリスト・むのたけじさんの
「死ぬ時、そこが人生のてっぺんだ」という言葉で、記事には次のようなことが書かれていました。
『‥‥真珠湾奇襲攻撃の前、日本軍はベトナムに侵攻、そこから東南アジア諸国へ戦線を広げていった。
20代のむのさんは朝日新聞の従軍記者として、侵略戦争のまっただ中にいた。
天皇の敗戦放送の3日前、ポツダム宣言受諾の情報は入っていた。
社会部の部会でこれからどうするか議論になった。
しかし、戦争協力への反省もあらたな出発の気概もなかった。
おなじ建物で、おなじ輪転機で、そのままあたらしい時代の新聞をつくれるのか。
30歳。家庭があった。それでもひとり退社した。
故郷に帰って、戦後日本を照らし出す「たいまつ」を30年発刊しつづけた。
決断と持続。やり抜いた果ての100歳になって、「辞めたのは、短慮でもあった」との反省がある。
辞めて闘う、残って闘う。その双方を認める老成だった。
「死ぬ時、そこが人生のてっぺんだ」。85歳、色紙に書いた。
それから死ぬまで、まだ奮闘の人生だった。』
はぃ‥、「奮闘の人生」に程遠い私には、ただただ頭が下がる生き方です。
なお、さきほどの「詞集たいまつ」のなかには、次のような言葉もあります。
『失敗は、なるたけしない方がよいに決まっている。
けれども、真にこわいのは失敗することではなく、いい加減にやって成功することだ。』
『人間関係を耕作するのに、謙虚にまさるこやしはない。』
この二つの言葉をずっと胸に刻んで、これまで生きてきたつもりですが、
「奮闘」という名の姿勢・態度が、私の人生には欠けていたのではないかと深く反省しています。