昨日の続きです‥。
6月3日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、森本あんりさんの
「寛容はちっとも美徳ではない」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『寛容とは元来、自分とは異なる信念の持ち主を「しぶしぶ認める」ことであり、
相手にとってそれは己の価値を見下されることに等しいと、神学・宗教学者は言う。
人の心に深く根を下ろす信念ほど、それに反するものは認めにくい。
だから自分は存外不寛容な人間だと認めるほうが、不寛容は許せないとするより、
人々が共存できる場は僅かに広がると。「不寛容論」から。』
う~む‥‥。「寛容はちっとも美徳ではない」のですか‥。
「寛容とは元来、自分とは異なる信念の持ち主をしぶしぶ認めること」とのご指摘には、
考えさせられるものがありました。
でも、本当に世の中が不寛容を自認する人ばかりで、共存する場は広がるのかな‥?
そういえば、「寛容論」の著者ヴォルテールには、次のような有名な言葉がありました。
『君の意見には反対だか、君が自分の意見を言う自由は命を懸けて守る』‥‥。