しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

悩むな、考えよ。

『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)の続編、『目的への抵抗』(國分功一郎著:新潮新書)を読了しました。

前作には及ばないものの、こちらも分かりやすくて面白かったです。


第一部「哲学の役割~コロナ危機と民主主義」で國分先生は、

哲学なる領域を勉強することの意味について、

「哲学というものを勉強すると、世の中に溢れている紋切型の考え方から距離を取れる」

、なぜなら「哲学というのは基本的に問いを立てて、その問いに概念をもって答える営みだから」

と述べられていました。


そして、コロナ危機において問いを立てる営みを実践した哲学者として、

イタリアのジョルジョ・アガンベンという人を紹介されていました。

その問いの論点のキーワードは、「生存のみに価値を置く社会」「死者の権利」「移動の自由の制限」

この三つで、それぞれの考えを興味深く読みました。


第二部「不要不急と民主主義~目的、手段、遊び」では、

ハンナ・アーレントの「人間の条件」における目的の概念についての言葉のほか、

國分先生の次の言葉が印象に残りました。


『目的のために手段や犠牲を正当化するという論理から離れることができる限りで、人間は自由である。

 人間の自由は、必要を超え出たり、目的からはみ出したりすることを求める。

 その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だと言ってもよいかもしれません。

 そこに人間が人間らしく生きる喜びと楽しみがあるのだと思います。』


そうそう、そういえば「質疑応答」のなかで、

「高校生のうちに何か将来のためにやっておいたほうがよいことはなんでしょうか」という問いに対し、

國分先生は次のようなことを述べられていました。


『‥‥ただ、敢えて言えば、僕はやっぱりみんなにいろいろなことを考えてほしいから、

 考えるきっかけをたくさん得て、考える時間を大切にしてほしいですね。

 ありきたりですけど、そのためには本を読む。しかも古典を読む。人と話す。

 人が考えていることを聞く。映画を観る。そしてそれについても人と話す。

 こういったことはどれも考えるきっかけになりますよね。』


はぃ、私は高校生の頃、まさにこういうこと(考えること)ができなかったのです。(反省)

改めて池田晶子さんの「悩むな、考えよ。」という言葉を思い出しました‥‥。