しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

記憶と身体

昨日の続きです‥。


3月28日(木)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、三浦雅士さんの

「記憶は身体なしに成立しえない」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『記憶は、脳というよりは口の記憶、耳や手の記憶としてある。

 詩歌はまずは一つの口調として記憶され、読むことのみならず思考も文体に同調することで起動すると、

 評論家は言う。そして文字を介したさらに抽象的な思考への展開さえも、聴覚から視覚への移行という、

 身体回路の変換に負うと。経典の暗記も身体的訓練。とすれば、おそらく道徳も。「考える身体」から。』


中高生の頃、英語の単語をノートに何度も書き写して覚えていたことを思い出します。

きっと手で記憶していたのでしょうね‥。

そして、「経典の暗記」といえば、父が亡くなってから毎朝、

仏壇の前に正座して「般若心経」を読みながら唱えるのが日課となりました。

もう一年になるのに、私は未だに覚えることができません。

身体的訓練が足りないのか、それとも記憶力が衰えたのか‥‥?