しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「正反対を見る思考」を学ぶ

今月11日から20日まで、町立図書館が蔵書点検のため休館なので、

ほぼ習慣化している一週間に一度の、朝日新聞一面コラム「折々のことば」の「まとめ読み」ができません。


その「折々のことば」の執筆者、鷲田清一さんが、今日の愛媛新聞文化欄「おかげさんで今」に、

「社会諸相 京都に混在 正反対を見る思考培う」というタイトルの随筆を寄稿されていました。


鷲田さんは、いろいろな職業、地域出身の人たちが隣り合って暮らしていた

京都市下京区の片隅の町で生まれ育った経験が、今の自分のものの見方や考え方に

大きな影響を与えているとして、次のようなことを述べられていました。


『‥‥「両義性」という考え方があります。

 それは、二つの正反対の、矛盾や対立を人間は抱え込んでいるという思想。

 人間には理性があれば本能もあり、心があれば体もある。それら二つを切り離すのではなく、

 引き裂かれつつもつれあう現象としてきちんと見ようとするんです。

 僕が、「聴くこと」や「待つこと」、「弱さ」を哲学の主題にしたのも、

 物事を見るときに正反対のものが見えるという思考の癖みたいなのが影響したのかもしれない。

 何もしないのは楽なことに見えるけれど、介護の現場なんかに行くと、

 待つこととか聴くことが一番しんどいことですから。‥‥』


なるほど、「正反対を見る思考」ですか‥。

今後、「折々のことば」を読む際には、そのような思考方法を参考にしたいと思います。

なお、鷲田さんは、随筆の最後に、

「過去というものは語るたびに変形されるもので、死ぬ前にはまた違う話をしているかもしれません」、

このように述べられていました。


この日記における私の過去の記述も、これから変形されるのかもしれません‥‥。