昨日の続きです‥。
6月24日(土)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、岸政彦さんの
「偉大な天才って、オリジナルを発明したんじゃなくて、
誰でも真似(まね)できるものを発明した人だと思うんです。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『社会学者は「聞き書き」の手法について、音楽の様式になぞらえ、こう語る。
独創的とは、未知のジャンルがそこから立ち上がるスタンダードを創ることだと。
詩歌や造形でも、さらには科学研究にも同じことがいえる。
作家・クリエーターのいとうせいこうとの対談「聞き手の責任をまっとうする」
(文藝 2021年冬季号)から。』
う~む、なるほど‥‥。「オリジナル」ではなく、「誰でも真似(まね)できるもの」ですか‥。
「天才」とはどういう人なのか、「独創的」とはどのようなものか。
分かったような、分からないような‥。
普段、何気なく使う言葉の意味を改めて考えると、少し混乱している自分がいます‥‥。
追記
今日も湿度が高く、蒸し暑い一日となりました。
部屋の温度計は、日中、30℃を下回ることがありませんでした。遠くから雷の音が聞こえています‥‥。