今日は町立図書館に行って、3月24日(日)から30日(土)までの
朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。
一緒に行った孫娘は、今度入学する中学校から出された宿題に取り組んでいました。苦手な算数です。
この一週間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。
先ずその前に、3月30日(土)の同紙オピニオン欄に、佐伯啓思・京大名誉教授が、
「トランプ現象と民主主義~論争に興じるより、真理に近づく「哲学」に敬意を」
という論評を寄稿されていて、そこには次のようなことが書かれていました。
『‥‥ところで、トランプを日本語で文字順を変えればプラトンになるからというわけではないが、
皮肉な言い方をすれば、トランプ氏はプラトンの民主政批判をよく知っていたのかもしれない。
というのも、プラトンの民主政批判は、まさに、その価値の相対性を前提とする限り、
ほぼ間違いなくデマゴークを生み出し、そのあげくに民主政は自壊してゆくだろうと見ていたからである。
‥‥ソフィストとは、今日的にいえば、効果的なフェイクを酷使して
多数の支持を得る一種のデマゴークである。そこにはもはやフェイクと事実の区別はない。
弁論術は人々の心を動かす言葉の使用法であり、論議に勝つための論争術であった。
勝つことだけが大事なのである。ソフィストに対するソクラテスの批判は、意見は違っても
「幸福とは何か」「よい社会とは何か」についての、熟慮と節度をもった論議がなければならない、
というものであった。馬が白であれ黒であれ、「馬とは何か」という考慮がまずはなければならない。
「哲学」が必要なのだ。それは、言論の「競争」ではなく、言論の「問答」であり、
真理に近づく方法であった。民主政がうまくゆくには、「民主主義を守れ」ではなく、
その前に、ソクラテスのような哲学への敬意がなければならないのである。
民主主義のもつ根本的な問題は、すでにギリシャの昔に提示されている。驚くべきは、この21世紀なって、
その民主主義の守護神を自認する米国においそれが再現されているということだ。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。民主主義には哲学への敬意が必要なのですね‥。
はて、その「民主主義とは何か?」と哲学的に改めて問われると、
一言で明確に答えるのは、これがとっても難しいです。百人百様の答えがあるように思います‥‥。