昨日の続きです‥。
6月4日(火)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ハン・ガンさんの
「ぎりぎりの、か細い希望の方が本物だと感じます」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『人が人を虐殺するという、残忍な事実の累積。
その背後にはしかし、「粘り強く哀悼」し、「別れを拒否する」人々がいると、韓国の作家は語る。
人間は誰もが尊い存在だからこそ、それが砕けたのを見るのは苦しい。
暗黒の状況下で一抹の光と出会うには、どう考えても不可能な想像力が要ると。
本紙(5月28日朝刊)のインタビュー「暴力に満ちた世界 光は」から。』
う~む‥‥。
「どう考えても不可能な想像力」って、どんな想像力なんだろう?
私にもあるのかな? ほぼ間違いなく「無い」と思います‥‥。
ところで、今日の愛媛新聞に、明徳義塾高校野球部監督の馬淵史郎さんが、
母校の宇和高校三瓶分校で講演されたという記事が掲載されていました。
24年度末の宇和高校三瓶分校の閉校を前に、同校や三瓶高OBが企画されたそうです。
記事には次のようなことが書かれていました。
『‥‥2002年夏に甲子園優勝を果たし「あれほどうれしかったことはない」と振り返り、
夢をかなえるには「棚ぼた精神」が大事と強調。「棚からぼた餅」の餅は棚の一番近くにいる人が拾える。
落ちるのを諦めずに準備して待ち続けるといいことがあると力説した。‥‥』
なるほど、「棚ぼた精神」ですか‥。それは「諦めない心」と同義語なのですね‥。
甲子園常連校・明徳義塾高校野球部の強さが、少し分かったような気がしました‥‥。