今月1日から日経新聞「文化」欄で、作家・阿刀田高さんの「私の履歴書」の連載が始まりました。
第5回目の今日は、『若き日の読書 おもしろいものだけ選別 淫らな本に心ときめく』という見出しで、
その書き出しは次のような文章でした。
『若い日の読書について語ろう。
落語全集から始まり、銭形平次捕物控、佐々木邦のユーモア小説、江戸川乱歩のミステリー、芥川龍之介‥‥
とにかく自分にとっておもしろいものだけを読んだ。
先生や先輩が薦めるものでも、おもしろくなければポーンと退けた。この方針は一貫していた。
いっときは化学者を志望していたので、気ままな読書でよかろう、と思っていたのかもしれない。』
う~む‥‥。(沈黙)
「若い日の読書」と一口に言っても、阿刀田さんの場合は、
おそらく小学生の頃からこのような本を読まれていたのでしょうね。
私が小学生の頃は、少年マガジンや少年サンデーなど、漫画しか読んでいなかったように思います。
そして、この後、阿刀田さんは次のように述べられていました。
『 ~(略)~ さらに言えば、長い、長い年月をへだてて古い愛読書に再会すると、
内容だけではなく、そのころの自分が、自分を取り囲む状況が鮮明に甦(よみがえ)ってくる。
そっと上った階段、畳に映える窓の斜光、母の呼ぶ声、遠くの山並み‥‥。
遠い日々をもう一度生きるみたいだ。まさしく幼いころからの読書が恵んでくれる快感だ。
ささやかだが、ほかではかえがたい。』
私がようやく小説など、それらしき本を読み始めたのは、中学生の後半からだと記憶していますが、
「長い、長い年月をへだてて古い愛読書に再会すると、内容だけではなく、そのころの自分が、
自分を取り囲む状況が鮮明に甦(よみがえ)ってくる。」という感覚はよく理解できます。
阿刀田さんは、この感覚を『遠い日々をもう一度生きる』や、
『昔日の私を実感できる』という文章で表現されていました。
再読する価値ある本に出合えることは、人生における喜びの一つだと思います。