しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「医療資源の最適配分」を考える

トリアージという言葉」のタイトルがついた、

今日の朝日新聞一面コラム「天声人語」(デジタル版)の次の文章を読んで、

いろいろと考えるところがありました。


『‥‥人口あたりの病床数は世界最高水準で感染者は欧州より少ない。

 それでも逼迫(ひっぱく)するのはなぜか、

 医師で医療経済ジャーナリストの森田洋之(ひろゆき)さんが文芸春秋2月号に書いている。

 日本は臨機応変に医療資源をあてる機動性に欠けている。

 背景には医療が民間中心で国が命令できず、

 病院がライバル関係にあり連携が難しいことなどがあるという。

 構造的な問題があるなら、物事を動かすための戦略と財源がいる。

 店や個人に罰則を科す議論より、優先すべきはこちらではないか。

 現場で踏ん張る医療従事者を支えるためにも。』


う~む、なるほど‥‥。「日本は臨機応変に医療資源をあてる機動性に欠けている」のですね‥。

ということは、「医療の逼迫」や「医療の崩壊」というのは、

特定の医療機関や医療スタッフに、負荷が偏っているというのがその実態なのでしょうか‥‥?

医療の厳しい現場が分からないだけに、想像力を働かせるしか一国民の私には術がありません。


このことに関連して、経済学者の宇沢弘文先生が、「社会的共通資本」(岩波新書)で、

次のようなことを述べられていたのを思い出しました。


『医療のために配分することのできる希少資源--

 医師や看護師、検査技師などのコ―メディカル・スタッフを含めて--は限定されたものであって、

 すべての市民が、必要とする医療サービスを自由に、無制限に享受することはできない。

 したがって、各時点で、それぞれ限られた医療資本をもっとも効率的に、

 かつ社会的な利点からみて公正に配分するためにはどのような制度をとったらよいかという問題を

 考えなければならない。また、医療サービスの供給者である医師を始めとして看護師など

 コーメディカル・スタッフの職業的・専門家的倫理を

 どのようにして内発的な動機と一致させるようにするかという、

 いわゆるインセンティブ・コンパティビリティ(Insentive Compatibility)の問題もまた、

 社会的共通資本としての医療を考察するとき、重要なものとなるであろう。』


医療資源は「社会的共通資本」であって、官僚的に管理されるものであってはならないし、

また市場的基準によって配分されるものであってはならないと、宇沢先生はおっしゃっていました。

ただ、コラムが指摘しているように、「医療資源の最適配分」はいかにあるべきかを議論することは、

国民の代表である政府や国会の大切な役割だと思います。