連日の暑さが少し和らぎ、今日は比較的過ごしやすい一日となりました。
昨日に雨が降ったからでしょうか?その要因は、私にはよく分かりません‥。
さて、昨日の続きです‥。
7月13日(木)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、森達也さんの
「置いてけぼりになったような気がしても、走る理由が分からないうちは走る必要なんてない。」
という「ことば」で、いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『誰かが深く考えずに走りだす。それを見た人も走りだし、気がつけばみなが同じ方向に走っている。
事態の意味を知るのはすべてが終わった後。
茫然(ぼうぜん)と顔を見合わせ、「誰が責任をとるんだ」と擦(なす)りつけあう。
戦争も差別もそんなふうに起こってきたと映画監督は言う。
見えるものの向こうに向かわぬ心の麻痺。「いのちの食べかた」から。』
う~む、なるほど‥‥。「見えるものの向こうに向かわぬ心の麻痺」ですか‥。
先の大戦では、日本と日本人全体が「心の麻痺」に陥ってしまっていたのかもしれません。
「戦争」は理解できるけれど、「差別」も同じような心理的メカニズムなのでしょうか?
この組み合わせは、ちょっと意外でした‥‥。
追記
同じ日、同じ紙面の一面コラム「天声人語」は、国際数学オリンピックに関連した内容でした。
冒頭の次の記述が印象に残ったので、手帳にメモして帰りました。
『数学が苦手な生徒は往々にして、正解ではなく、ある疑問にたどりつく。
いわく、何でこんな勉強をするのか。将来、いったい何の役に立つというのか。
10代の筆者もよく、そんな嘆きを重ねていた。
ああ、そうかと気づいたのは、藤原正彦さんの著書「数学者の言葉では」を読んだときだ。
「役に立たない、というのは、価値がないということではない」と数学者は説いた。
大切なのは何かを深く考えること。
すぐに成果が出ずとも、その行為がいかに尊いかを教えられた。‥‥』
「大切なのは何かを深く考えること」‥。
算数が苦手な孫娘に、この「教え」を伝えたいと思います‥‥。