一昨日の続きです‥。
10月4日(水)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、ラ・ロシュフコーの
「欠点のうちには、それが巧みに運用されると、美徳そのものよりも光るのがある。」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『移り気やその逆、しつこさが偉大な発見につながったり、優柔不断やぐずぐずが沈着な情勢判断となったり、
引っ込み思案が人を深い内省へと誘ったり。
「人間のよくない素質が、大きな才能をなす場合がある」と17世紀フランスの公爵は言う。
人の性質は状況の中で働く。単独で評価しても意味がない。
講談社学術文庫と岩波文庫の二冊を所有して読み比べていますが、もう一冊あったのですね‥。
どんな訳なのか、とても興味があります。
さて昨日は、午前8時前から氏神神社の清掃活動に参加し、午後5時からは幟立ての手伝いをしました。
境内の横に格納してい長い棒を、神社前の道路まで肩に乗せて運ぶのですが、
なんだか神輿を担いでいる気分になりました。
これで14日からの秋祭りの準備は神社では整いましたが、今年も子ども神輿の運行は中止となりました。
愛護班など保護者の応援体制が整わなかったのがその理由のようです。
中学生になって一度も子ども神輿を担ぐことなく卒業していく子どもさんが気の毒でなりません‥‥。