しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

巳午(みんま)の行事

今日は巳午(みんま)です‥。(今年の12月には三回、巳の日があります)


巳午は、昔、戦乱の時代に戦いを終え帰郷する兵士たちが、

「亡くなった友はもう二度とお正月は迎えられない」ということを哀れみ、

せめて生き残った我々で、亡くなった方のお正月を祝ってやろうと行ったことが始まりといわれ、

この行事は、新仏のお正月として慣習化され、12月の巳の日に行われているそうです。


ということで、自宅の仏壇には、しめ飾り・重ね餅・御霊供膳・お菓子などをお供えし、

妻と一緒にお墓に行って、しめ飾り・重ね餅・つえ・ぞうりを飾るとともに、

墓前で藁を燃やして小さなお餅を焼き、父を偲びながら二人でその餅を食べて帰りました。


そして午後からは、町立図書館に行って、12月3日(日)から9日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間で印象に残ったのは、二つの「ことば」でした。

まず、12月3日(日)は、岡潔

「内容のある抽象的な観念は、抽象的と感じない。」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『人間の思考は、内容のない観念だけを相手にしているといずれ破産すると数学者は言う。

 世界は「わかりきったことほどわからない」し、人も「大きな心配ほど心配しない」ものだが、

 その限界を越えたければ、逆に手許にある個人の問題を離れてはいけない。

 実際、自己の問題を個性的に究めたものほど人も「共感がもちやすい」と。

 小林秀雄との対談「人間の建設」から。』


この「折々のことば」は時々、いくら読んでもさっぱり理解できない「ことば」に出合います。

今日がその「ことば」と「解説」でした。

「内容のある抽象的な観念」「手許にある個人の問題を離れる」「自己の問題を個性的に究める」‥。

まるで難解な哲学書を読んでいる感覚に陥りました‥‥。