しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ツキを呼び寄せる習慣

先月29日の日経新聞電子版「週末スキルアップ術」に掲載された

『ツキを呼び寄せる3つの習慣』というタイトルの、

林野宏・クレディセゾン社長へのインタビュー記事が大変参考になりました。

記事では、「仕事におけるツキ」を重視する“林野流哲学”なるものが、

次のように3つ紹介されていました。

 

① ハードトレーニング

 いつでも最大限の力を発揮できるよう、

 常に潜在能力を蓄えておくことが求めらるからから、とてもハード。

 なぜハードトレーニングが必要かというと、

 「ツキが来た時、最大限の活用ができない」事態を避けるため。

② 闘争心

 私が言いたいのは、「絶対に勝てる!」という激しすぎるぐらいの闘争心。

 「最後はうまくいく」と思っているから、どんな困難にぶつかっても諦めない。

 100%の力を発揮して、難局の苦しさを、エネルギーに変えられる。

 ところが漫然と「勝ちたい」と思っている人は、ちょっとしたトラブルでも、

 「もうダメだ」「これだけ頑張ったから、うまくいかなくても仕方ない」と

 すぐに諦める。この気迫の違いが、ツキを引き寄せられるかどうかと、

 密接に関係していると私は見ている。

③ 明朗快活

 明るく楽観的で頑張っている人は、

 職場でも社外でも周りを明るくするから好かれる。

 人が集まってくるから、ネットワークが広がり、様々な情報も集まってくる。

 ツキを呼び寄せて、成功する。

 逆に、しょげて暗い顔をしている人や、物事に悲観的な人には、

 親しくしている人ですら近づきたくない。これではツキだって近寄らない。

 

う~む、なるほど……。

この3つのうち、特に参考になったのは「③明朗快活」の記述です。

私は喜怒哀楽がすぐに顔に出るタイプなので、

心配ごとや悩みごとがある時、また落ち込んでいる時などは、

どうしても表情や態度が暗くなってしまいます。

(だからツキが寄ってこないのかな…?)

 

「笑顔は努力に比例する」という言葉をどこかで聞いた記憶がありますが、

「明るく楽観的になる」ことは、簡単なようで、

実はとても努力がいることだと思います……。

クールビズとイノベーション

この連休中に京都で執り行われる甥っ子の結婚式には、

ごく普通に礼服で参加するつもりなのですが、

よく考えてみると、京都までの往復、着ていく服がないことに気が付きました。

そこで昨日の夕方、娘にお願いして洋服の買い物に、

近くの大型ショッピングセンターまで一緒に行ってもらいました。

というのも、普段、私が購入する服は、全くと言っていいほどセンスがなく、

いつも妻から御叱りを受けるのです……。

 

さて、店に入ると、娘は手際よく服を数点選んできて、

私は私で、試着ブースで次から次へと服を試着します。

そして、娘の適切なアドバイスの結果、

無事にそれらしき服を購入ることができました。

しかも、そのお店がバーゲンセールを実施していたこともあって、

ズボン2本、シャツ1枚、Tシャツ1枚の計4点で定価が約25000円のところ、

半額以下で購入することができました。

なんだか得をしたようで、すごく満ち足りた気分になりました。

これからは、娘と一緒に服を選ぶことにしたいと思います。

 

ところで、「服」と言えば、今日5月1日からクールビズが始まりました。

通勤電車も勤務先の職場も、皆さん、見事にノーネクタイでした。

報道によると、クールビズは提唱から13年目を迎え、認知度も向上。

環境省が昨年10月に実施したインターネット調査では約9割だったそうです。

また、同省は暑い日に家庭での1人1台のエアコン使用をやめ、

涼しい部屋で家族がだんらんしたり、

公共施設に出かけたりし冷房を分け合う「クールシェア」や、

買い物の際に省エネ製品を選ぶなど、

温暖化防止につながる行動を呼びかける「クールチョイス」運動などにも

取り組んでいるとのことでした。

 

ネクタイがない期間が半年にも及ぶようになって、

私たちサラリーマンにはとっても有難いクールビズですが、

その反面、ネクタイ業界などは苦戦を強いられていると拝察します。

ただ、昨日の吉川先生の『人口と日本経済』(中公新書)ではないけれど、

ピンチはチャンスでもありますよね……。

 

クールビズでネクタイ業界にイノベーションが起きる余地はあるのでしょうか…?

私は頭が固くて、良い知恵が思いつきません。

 

経済成長は必要か?

『人口と日本経済~長寿、イノベーション、経済成長』

(吉川洋著:中公新書)を読了しました。

 

経済成長は必要かどうかについて、また、その恩恵について、

吉川先生が引用されていた、

唐の大儒韓愈が書き残したという「原道」という文章が、強く印象に残りました。

『「古(いにしえ)の時、人の害多し」。

 太古人間を取り巻く環境は厳しかった。

 それを目に見える形で改善した人こそが「聖人」である。

 「寒くして然して后(のち)にこれが衣を為(つく)り、

 飢えて然して后にこれが職を為る」。

 さらに「医薬を為って、以て夭死を済(すく)う」。』

 

う~む、なるほど……。とても説得力のある文章です。

吉川先生は、地球環境の持続可能性が問われる今、

経済成長を自己目的化する「成長至上主義」を唱える人はもはやいないが、

経済成長の果実を忘れて「反成長」を安易に説く考え方は危険ですらある、

と述べられています。

 

そして、吉川先生は、経済成長の必要性について、

次のように明解に述べられていました。

『戦後復興とそれに続く高度経済成長が終焉し、1970年代に入ると、

 がむしゃらな成長至上主義は姿を消した。

 これは先進国においては歴史の必然である。

 しかしそのことと、文字どおりのゼロ成長論は別だ。

 あたかも人にとってじっと静止しているよりも、

 それぞれ自分に合ったペースで歩行している方が心地よいのと同じように、

 成熟した先進国においても、それぞれの経済にあった経済成長のほうが、

 ゼロ成長よりはるかに自然だ。ゼロ成長の下では現役世代

 とりわけ若い人たちの雇用は劣化していかざるをえない。さ

 そうした観点からもやはり経済成長は必要だ。これが私の考えである。』

 

さらに、吉川先生によると、シュンペーターは、

イノベーションの担い手にとっては、金銭的なリターンもさることながら、

何よりも未来に向けた自らのビジョンの実現こそが本質的だ」と言ったそうです。

 

私は、自分自身については、どちらかというとペシミズムの持ち主ですが、

日本経済の将来については、オプティミズムな考えの持ち主です。

「プロダクト・イノベーション」なるものが、

課題先進国の日本において、いつかどこかで必ず起きると信じています……。

 

 

 

 

昭和の日の庭三景

今日29日の「昭和の日」はよく晴れて、この時期らしい爽やかな日となりました。

明日は娘の誕生日…。

毎年、娘の誕生日を祝福するように咲くプランターのスズランは、

今年は成長が遅くて、まだ花が咲きそうにありませんでしたが、

下の写真のように、塀際のスズランに、遠慮するように三輪の花が咲きました。

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次の写真は、玄関のハナミズキです。

こちらも、ようやく白い花が咲きました。

今年は桜の開花が遅かったですが、我が家のハナミズキも開花が遅く、

花の数も例年より少ないように思います。f:id:miyoshi_s:20170429155852j:plain

それに引き換え、小さい方のヤマモミジは、

花ではありませんが、ご覧のように勢いよく新緑が伸びています。

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そして、庭に出て、やさしい風を肌に感じていると、

ふきのとうの「南風の頃」という名曲を、突然のように思い出しました。

♬ 南風吹いたら 流れ雲流れて 本棚の写真帳 色褪せたまま

  陽だまりのかげろうに あなたを想いつつ 縁側でひとりぼっち ひなたぼっこ

  この町に慣れようと 泣き笑いおぼえて かわらぬ生活(くらし)に季節をみつけた

  僕の背中で想い出が ゆらゆら揺れてます 

  昨日の涙で面影も ゆらゆら揺れてます

 

この曲は確か、

私が大学に入学した年(昭和50年)の今頃、流行っていたように記憶しています。

京都での浪人生活を終え上京した私は、

大学生活を始めて一か月が経過しようとしていた、ちょうど今頃の季節に、

強烈な脱力感と寂寥感に襲われていました。

そして、この曲の歌詞にあるように、

高校生の時に大好きだった彼女のことばかりを想っていました。

 

ところで、来週の連休には、甥っ子の結婚式で、

約40年振りに京都に行くことになりました。

京都は私にとって、

子どもの頃の楽しい思い出と大学浪人時代の辛い想い出が錯綜する街…。

どちらの自分に再び巡り合えるのか、今から楽しみです。

 

老後とお金を考える

今日28日の日経新聞電子版「マネー研究所」に、

『老後資金は闇鍋と同じ~「見えない」から怖い』

というタイトルの記事が掲載されていました。

 

『お互いに持ち寄った食材を鍋に入れ、暗闇の中で楽しむ「闇鍋」。

 食べるまで、場合によっては食べてからも何を口にしているかわからず、

 ハラハラする料理です。見えない「何か」に対峙するのは不安がつきまといますが、

 お金にも同じことが言えます。』

記事の冒頭は、このような文章でしたが、

私の目に留まったのは、むしろ次のような内容でした。

 

『ファイナンシャル・プランナーの資格認定試験や普及などに取り組んでいる

 「NPO法人日本FP協会」が昨年10月、

 全国の20歳以上の男女1200人に聞いた「老後とお金に関する調査」によると、

 老後の生活資金に対して不安を感じる人は81.3%もいました。

 調査ではお金に関する悩みも聞いており、全世代を通してのトップ5は

 1位 老後の医療費や介護費がいくらかかるかわからない

 2位 貯蓄ができない

 3位 年金がもらえるのか心配

 4位 老後資金が準備できるのか心配

 5位 家計がいつも赤字になってしまう という結果となりました。

 2位と5位以外は、将来の見通しがつかないことに対する不安といえます。』

 

いゃあ~、驚きました。

1位から5位までのお金に関する悩みは、すべて私に当てはまります。

でも、一方では、皆さんは私と同じ悩みを抱えているということなので、

少し安心したところはあります。

 

ところが、安心したのも「つかの間」。記事には次のようなことも書かれていました。

『65歳以降の生活で支出が収入を5万~6万円上回り、

 年齢的には100歳まで生きると仮定すると

 2000万~2500万円の補填が必要になります。』

 

う~む、まいったな…。

私が100歳まで生きることはほとんど考えられないけれど、

妻にはその可能性は十分ありますし、私の分まで長生きしてほしいと思っています。

ただ、この数字を見ると、

100歳まで生きるのも、実は「お金との戦い」ということがよく分かりました。

「お金の心配までして長生きするのは、果たして幸せなことなのか」、

深く考え込んでしまいました。

これも昨日の「老年学」のカテゴリーに入るのかしら…?(苦笑)