しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

現地・現場の大切さ

今日は、上司と一緒に、南予方面に出張に行ってきました。

南予方面と言っても、すぐお隣は高知県の町です。

7月もあと数日で終わりなのに、今日が令和2年度になってから初めての出張となりました。

最近は、「リモート」、「テレワーク」、「Web会議」など、非接触型の仕事が主流になりつつありますが、

今日、出張して感じたのは、やはり、「現地」・「現場」を、自分の目でしっかり確認することの大切さです。


仕事に関していえば、昨年度末から開催を控えていた会議も、

参集人数を少なくして、来月下旬に開催することになりました。

新型コロナウイルスの感染防止に最大限の配慮をしつつ、

仕事の進め方も、徐々に通常モードに戻していく必要があります。

その全てを「ニューノーマル」に切り替えていくのは、とても難しいのではないかと感じています‥‥。

次に生かす

日本経済研究所のHPに掲載された、

田中秀明・明治大学教授執筆による「歴史に学ばない骨太の方針」というタイトルの

次のような内容の論評を興味深く読みました。


・過去20年間、歴代内閣は「e-Japan戦略」のような電子政府推進の看板を掲げてきた。

 莫大な予算を投じてきたものの、現在でも住民票さえ自宅で取得できない。

 特別定額給付金の手続きが自治体ごとにばらばらに行われ、

 給付に手間取るという失敗を受け、今年の『骨太の方針』では、

 内閣官房に新しい専門部署を設置し、行政のデジタル化を強力に推進するとしている。

 しかし、これまで出来なかったことがなぜ急に出来るようになるというのか。


・筆者は、電子政府化、行政のデジタル化が進まない最大の理由は、

 「デジタル化の何が問題なのか」「何が障害になっているのか」などの分析がないことにあると考えている。

 今年の『骨太の方針』をみても、「今般の感染症対応に伴う支援策の実施を通じて、

 受給申請手続・支給作業の一部で遅れや混乱が生じるなど、

 デジタル化・オンライン化が特に行政分野で遅れていることが明らかになった」という記述はあるが、

 何が問題だったのかという分析はない。


新型コロナウイルス感染症が顕在化させた問題のもう1つは、

 非正規雇用フリーランス社会保障の問題である。

 今年の『骨太の方針』では、新型コロナ感染症拡大で非正規雇用フリーランス

 厳しい生活・事業を強いられ、格差拡大をもたらすことにもつながると指摘しているが、

 フリーランス社会保障については、

 「適正な拡大を図るため、保護ルールの整備を行う」としか述べていない。

 これは契約ルールの整備であり、セーフティネットの拡充ではない。


・安倍政権が掲げる「働き方革命」「人生100年時代」などの方向性に異論はない。

 今年の『骨太の方針』でも、

 「誰一人取り残されることなく生きがいを感じることのできる包摂的な社会を目指す」

 としているが、社会保障の問題に本気で取り組んでいるようには見えない。

 あくまでも「やっている感」の演出にとどまる。

 日本の社会保障の問題は、従来の枠組みではカバーされていない人たちが増えていることであり、

 この人たちを社会保障の対象にしていくことが課題だろう。


・ここで財政再建の経緯を簡単に整理しておく。

 歴代政権が掲げてきた財政再建目標はことごとく失敗している。

 1997年に導入された財政構造改革法(橋本龍太郎政権)、

 2006年に導入された「2013年度におけるプライマリーバランス黒字化」(小泉純一郎政権)、

 2010年に導入された「2020年度におけるプライマリーバランス黒字化」(菅直人政権)は、

 いずれも目標を達成できなかった。

 民主党政権の目標はその後、第2次安倍晋三政権に引き継がれた。


安倍晋三政権のもと、「2020年度におけるプライマリーバランス黒字化」は、

 2017年に棚上げされ、目標時期が2020年度から2025年度に後ろ倒しになったが、

 今年の『骨太の方針』では、プライマリーバランスを黒字化するという目標はなくなった。

 これまで財政再建が失敗した理由はいずれも景気後退である。

 景気は常に循環し、外的ショックで景気後退する危険性があるにもかかわらず、

 景気変動を考慮した財政運営や財政再建ができていない。日本は過去の歴史に学んでいないのである。


う~む‥‥。

「これまで出来なかったことがなぜ急に出来るようになるというのか」など、なかなか手厳しいご指摘です。

また、田中教授は、この論評の最後に、

「政府は全知全能ではないので、失敗することもある。

重要なことは、結果や失敗を真摯に分析し、次に生かすことである。」と述べられていました。


トレードオフの関係にある感染拡大の防止と経済・社会活動の維持という困難な課題を、

私たちはどのように解決しようとしたのか、

その成功事例も失敗事例も、正しく後世に伝えていくことが大切なのですね‥‥。

知的刺激を受けたテキスト

NHKテキスト、100分de名著「吉本隆明共同幻想論」を読了しました。

テキストの執筆者は、先崎彰容・日本大学危機管理学部教授です。


共同幻想論は、「人はなぜ信じてしまうのか」という問いに深くとことん向き合った戦後最大の思想家、

吉本隆明による格闘の記録だという、テキストの紹介文がありました。

そのテキストのなかでも、特に印象に残ったのは、次のような先崎教授の解説でした。


『‥‥人間は平和な家庭の主人として衣食の満足を与えるために、

 実は相撲と同じ緊張を感じながら日々を過ごしている。

 つまり日常生活とは、自然や社会はもちろん、

 身近な妻子ですらも、四つに組まなければならない敵なのです。自分自身すら敵なのかもしれない。

 生きるとは力を込めて組み続けることであり、笑顔の時にすら背後に殺気を隠しています。

 生涯四つに組んで大汗を流し、最後は疲れ切って死んでいくこと、これが人間の本質なのではないか。

 漱石はこの事実に打ちのめされ、溜息をつくように、人間は神経衰弱になるしかないと言いました。

 しかし吉本は漱石の作品に、むしろ大衆の原像を読み込んだのです。

 日常生活、と私たちは比較的簡単に言うだろう。

 だが容易どころか緊張の連続、少しでも力を抜けば瓦解するものだ。

 生活とは、秩序を支え続ける不断の営みのことではないのか。

 子を産み、子を育て、老いた親を看取り、そして自分もまた老いて死んでいく。

 ただそれだけのことの中に、ささやかな、誠にささやかだが劇的な一人の人生が隠されているのではないか。

 一人に一つ、かけがえのないドラマがある。

 それは知識人に操られ群衆化するのとはちがう、地に足のついた匂いも手ざわりもある生活実感のことです。

 平凡が非凡であること、非凡な営みに支えられて、

 ようやく日常という秩序が成り立っていることに気づくこと。

 この「気づき」を吉本は「裂け目」と名づけ、自立するための根拠だと強調しているのです。』


『‥‥以上のように、個人幻想の特徴をさぐる最中、

 吉本が夏目漱石「思い出す事など」や小林多喜二「党生活者」など

 文学を素材とし、論じていることが重要です。

 吉本が行おうとしていたのは、「あるべき文学の姿とはなにか」を論じることでもあったのです。

 文学とは、徹底的に個人の人生にこだわる営みである。

 逆に言えば、徹底的に政治的に人間を見ることへの、ことばによる抗いである。

 人間をマッスとして取り扱い、自分の政治目的に利用できるという考えを「技術主義」と名づければ、

 技術主義こそあらゆる共同幻想が隠しもつ毒である。

 解毒はことばによって、生活の「裂け目」を描くことによってなされるのだーー

 これこそが吉本のメツセージであり、個人幻想だと私は思うのです。』


共同幻想」、「対幻想」、「個人幻想」、「観念の運河」、「関係の絶対性」、「人間の全範疇」、

「沈黙の有意味性」、「大衆の原像」‥‥。

難しい言葉が次から次へと登場して、おそらく私はその半分も理解していないと思うけれど、

先崎教授の丁寧な解説のおかけで、知的な刺激と興奮を十分に味わえたように思います。

ぜひ次は、原文にも挑戦してみたいです。

(そう思って買った、丸山眞男鈴木大拙などの本は、何年たっても積読状態です‥‥。)

優れたリーダーを測る基準

今日の日経新聞「経済論壇から」の、

「コロナで問われる政治の真価」というタイトルの記事が勉強になりました。

今回、土居丈朗・慶大教授が取り上げられた論考のうち、特に印章に残ったのは、次のような記述でした。


早稲田大学教授の河野勝氏(Voice8月号)は、安倍晋三政権のコロナ対応は、

 公衆衛生や経済での評価は分かれ、まだ確立しないが、政治的には大失敗と評する。

 内閣支持率の大幅下落がその証左という。

 国家が危機に直面すると、少なくとも短期的に自国のリーダーに対する評価が高まる

 「旗下集結効果」が広く観察される。

 危機に対しリーダーがその先頭に立つ姿を歓迎し評価する。

 しかし、他国や他地域のリーダーと比較される政治的試練にさらされることがわかっていながら、

 安倍首相は、定期的に記者会見を開かず、国民に説明を尽くさなかった。

 まさに政治のリーダーシップが問われている。

 河野氏は、優れたリーダーを測るのは「その人でなければできない」という素質を持つことが、

 最も重要な基準とにらむ。

 リーダーは専門家に委任して様々な確率を計算させ、様々なリスクを明示化させ、

 様々な選択肢を提示させることができる。対立する意見を述べさせ、長短を論争させることもできる。

 ただ、それらを徹底しても唯一の正答が見えないことがある。

 まさにそのとき、政治のリーダーシップの真価が問われるという。』


う~む、なるほど‥‥。

優れたリーダーを測る最も重要な基準は、

『「その人でなければできない」という素質を持つこと』なのですね‥‥。

ということは、古今東西のリーダーにいくら学んでも、

今まさにその時に、この素質を持ったリーダーが不在であれば、

国家・国民の行く末は、極めて不確実・不安定になるということでしょうか‥‥?

「疾風に勁草を知る」ということわざもあります。

有事にこそ「リーダーシップ」が発揮されることを期待したいと思います。

1年後に希望をつなぐ

今日の日経新聞に、「東京2020大会」の全面広告が掲載されていました。

真っすぐに前を見つめる池江璃花子選手の顔時写真と「+1 その炎は、まだ消えていない。」の標語と、

そして、次のような大会組織委員会の文章が強く印象に残りました。


『東京2020大会が1年延期されたことを、

 前向きに「+1」として考えようという投稿がSNS等で見られました。

 素晴らしい考え方だと思いました。

 一人一人が、一歩前へ。この気持ちを、1年後の希望につなげていきたいと思います。』


ところで、先日のNHKニュースでは、

新型コロナウイルスの影響で延期された東京オリンピックパラリンピックの開催について、

NHKの世論調査で尋ねたところ、来年7月からの開催について「さらに延期すべき」と

「中止すべき」と答えた人があわせて66%に上り、予定通り「開催すべき」と答えた人を大きく上回った、

との報道がありました。


この世論調査が示すように、確かに今現在の状況では、私も悲観的な観測を抱いています。

でも、広告に書かれていた「その炎は、まだ消えていない」を読んで、

アスリートの皆さんとともに、1年後に希望をつなぐのも大切なことなのではないかと思うようになりました。


この「希望」という言葉を聞くと、

いつも『生きて帰ってきた男~ある日本兵の戦争と戦後』(小熊英二著:岩波新書)の、

次の文章を思い起こします。

何回かこの日記でも取り上げましたが、今日の日記にも書き残しておこうと思います。


『さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったのかを聞いた。

 シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えないとき、

 人間にとって何がいちばん大切だと思ったか、という問いである。

 「希望だ。それがあれば、人間は生きて生きる」そう謙二は答えた。』


「来年の今頃は、きっとアスリートの皆さんの活躍に感動をしている自分の姿がある」、

そんな希望を持って、私も一歩前に進むことにします‥‥。