しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「公正世界仮説」の落とし穴

朝日新聞デジタル版のオピニオン欄「耕論」は、有料会員しか読むことができない記事がほとんどで、

無料会員の私は読むことができず、時々、残念な思いをすることがあります。

今月9日に掲載された「感染を責める私たち」という記事がその一つでした。

ところが、この記事について、岡本全勝・元内閣官房参与が、

その抜粋をHPで次のように紹介されていて、とてもありがたく思った次第です。


『三浦麻子・大阪大学教授の発言から。

 ‥‥「被害者たたき」という現象で説明するのが分かりやすいでしょう。

 女性が夜間に通り魔事件に遭うと「深夜に出歩くのが悪い」と責められることがある。

 心理学では、本来守るべき被害者を非難する心の動きを「公正世界信念」という考え方で捉えてきました。

 世界には公正な秩序があると信じることで、私たちは安心して暮らせています。

 しかし「公正なはず」の世界で不運に陥る人を目の当たりにすると、大きな不安に襲われる。

 すると人の心には、「被害者は特別。正しく生きていればそんな目には遭わない」という

 いびつな事実認識をして、自分にとっての安定や秩序を取り戻そうとする力が働いてしまうのです。

 感染者のニュースを見て、「我慢せず遊びに行ったから」「なにか不注意があったはず」

 といった理由づけをしたことはありませんか。

 未知のウイルスなど予測不能な状況に直面したとき、

 人間はそこに架空でも何らかの因果関係を仕立てて理解しようとする。

 そうすることで自分を「守った」気持ちになるのです。

 これが、不運な被害者にもかかわらず、コロナ感染者を責めてしまう心のメカニズムです。

 しかし、その心の動きが「人間の性」であっても、それがむき出しとなり、

 誹謗中傷や差別という行為にまで至れば、感染者はより深い傷を負い、社会のつながりもずたずたになる。

 感染を隠す人が増えれば公衆衛生的にも悪影響です。‥‥』


はぃ、私も心当たりがなきにしもあらず‥‥。深く反省したいと思います。

ところで、「公正世界仮説」については、山口周さんが、『武器になる哲学』で、

次のようなことを述べられています。


『‥‥このような世界観(頑張っていれば、いずれは報われる)を頑なに持つことは、むしろ弊害の方が大きい。

 注意しなければならないのは、公正世界仮説に囚われた人が垂れ流す、

 「努力原理主義」とでも言うような言説です。』


子どもの頃、両親から「努力すれば報われる」と言われ続けた私こそ、最も心しなければなりません‥‥。