最高裁が今月25日に、性同一性障害特例法の生殖機能をなくす「手術要件」を違憲と判断したところです。
戦後12例目の違憲判断とのことなので、その判決文に目を通してみました。
生殖不能の「手術要件」(4号要件)については、15人の裁判官の全員一致で違憲、
変更後の性別に沿った外観を求める「外観要件」(5号要件)については判断していませんが、
3人の裁判官は同要件の規定も「違憲」とする反対意見を付けています。
私は反対意見3人の裁判官のうち、草野耕一裁判官の次のような判断が強く印象に残りました。
『‥‥5号規定(外観要件の規定)が違憲とされる社会においては、
5号要件非該当者による許容区域の利用規則の有り様についての諸見解が、
様々な公共空間において議論の対象となることが予想されるところ、そのような議論の結果によっては、
追加的な立法措置や新たな司法判断により、5号要件非該当者とそれ以外の国民のいずれか
又は双方の自由と利益に関して、上記に述べたものとは
(もとより憲法上許容される限度においてではあるが)若干異なる事態が現出する可能性がないとはいえない。
そして、この可能性がある点において、5号規定が違憲とされる社会は、
5号規定が合憲とされる社会と比べるといささか喧(かまびす)しい社会であるといえるかもしれない。
しかしながら、この喧しさは、5号要件非該当者とそれ以外の国民双方の自由と利益を十分尊重した上で、
国民が享受し得る福利を最大化しようとする努力とその成果と捉え得るものである。
以上によれば、5号規定が違憲とされる社会は、憲法が体現している諸理念に照らして、
5号規定が合憲とされる社会に比べてより善い社会であるといえる。
よって、5号規定の制約手段は5号規定の制約目的に照らして相当なものであるとはいえず、
5号規定は本件規定(手術要件の規定)と同様に違憲であると解するのが相当である。‥‥』
う~む、なるほど‥‥。
「喧(かまびす)しい」は、めったに目に触れることのない言葉ですよね。
そして、「この喧しさは、5号要件非該当者とそれ以外の国民双方の自由と利益を十分尊重した上で、
国民が享受し得る福利を最大化しようとする努力とその成果と捉え得るもの」と続き、
「5号規定が違憲とされる社会は、憲法が体現している諸理念に照らして、
5号規定が合憲とされる社会に比べてより善い社会であるといえる。」と結論付ける‥。
哲学的な思考方法のような気がして、強く心に訴えかける「何か」がありました。
「憲法が体現している諸理念」についても勉強し直したい、そんな気持ちにさせる反対意見でした‥‥。